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スーパーで群馬地域限定だと思いますが、湖池屋のポテトチップスの「焼きまんじゅう」風味が
売り出されていました。焼きまんじゅうと言えば群馬の名物。ソウルフードでしょうね、最近の言葉でいえば。
どんな味かとつい買ってしまいました。まだ食べていないので味はわかりませんが、おそらく焼きまんじゅうのたれの味のするポテトチップスなんでしょうね。

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秋は深まり10月下旬となりました。
私は毎日何回か Eメールを確認しているのですが、ふと変な宛名のメールに気づきました。私はまた迷惑メールが受信箱に紛れてきたか思い、削除してしまうところでした。宛名も手紙のタイトルも英語でした。宛名はメールアドレスみたいで、よく見るとMANILAと言う英語に気がつきました。ウィルスのあるメールかと不安になりながらも、もしかしたら、マニラのカナダ大使館?と思い、そのメールを開いてみると、本当のマニラのカナダ大使館からのメールでした。そのメールには、手紙に書いてある日付から30日以内に指定の病院で、しかも指定された医師による健康診断を受けなさいと言うものでした。
以前誰かが、健康診断の受診の連絡が来ると言うのはほとんど移住が許可されたようなものだという事をきいたことがあり、このメールをもらい私は喜びました。
日本でのいくつかの病院とその病院の医師の名前が書いてありました。私にとって一番近いのは東京にある病院でした。東京の指定病院は2つ名前が書いてありました。
まず、一つは港区にある病院、もう一つは新宿区にある病院でした。新宿区の方は昔私が通っていた英会話学校があった目白駅に近いところで懐かしいと思いその病院にしようと思いました。メールでもらった病院の名前はインターナショナルカトリック病院(International Catholic Hospital)と言う名前でしたが、
病院で予約を取るためにネットでその病院を調べると、日本名は「聖母病院」と言う名前だという事がわかりました。最初はまだ30日あるからあとでもいいかと思いました。でもとにかくその病院のHPを見てみようかとそのページを見ると、渡航のための健康診断の受け付けは月曜と金曜の午前8時から午前9時までで、診察が行われるのは午前中というようなことが書いてありました。午前8時までに病院に着くには、始発に乗って東京に出なければならないなぁと思いました。本当は後回しにしたかったのですが、毎日だと思ったのに月曜と金曜だけだとわかると、そう、時間的に余裕のある状況でもないなと思い、早めに健康診断を受けることにしました。
私は健康診断には少々不安がありました。私は高血圧で地元の医師から血圧を下げる薬を医者から処方してもらっていたのですが、ちょうど1と月前に血液検査の結果、血糖値が高く糖尿病だと言われ、さらにコレステロール値が高く、中性脂肪の薬もその時飲んでいたのです。3種類も薬を飲んでいるという事が健康状態に不安材料があり、これがマイナスに働かなければいいけれどと不安がありました。医療費のかかる病人は移住者としてカナダには必要ないと言われ、移住を拒否される理由となるような気がしていたからです。
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ちょっと曇ってますが、一五夜です。
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カルチャー教室で鉛筆画・色鉛筆画を教え始めて1年と3か月経ちました。今日は生徒に私の似顔絵を描かせました。1年3か月前の最初のクラスの時にも私の似顔絵を描かせました。1年後くらいにどれくらい進歩したかを見るためです。1年3か月前の絵は私が保管していて、生徒はどんな似顔絵だったかも忘れていました。生徒はほとんどが70代の方なのでこれでも進歩した方ではないでしょうか。どうでしょう? 2人の見本です。左がビフォーで右がアフターです。

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そしてその年の7月に入った頃だったでしょうか、ふとカナダ大使館からの手紙を思い出し読み返してみると、このままこの手紙を無視するのは癪に障る気がしました。かなりのビジネスクラスの自営業での申請だったので、かなり高い申請料を払ったのだからそれだけの仕事をカナダ大使館にさせないと損だと思うようになりました。移住したいというより、お金の分だけの仕事を大使館にさせてやろうと思い立ち、面倒な書類のアップデートを作成し足り、集め始めました。かなり制作に厄介な書類もありましたが、とにかく9月初めの締め切りに間に合うように進めていきました。再び県警へ行き無犯罪証明書を取り、指紋も採取してFBIからも無犯罪証明書をもらう用意もしました。最終学歴の卒業証書のオリジナルか認証されたコピーをという事で、公証役場と言うところにも行き、認証してもらい、税務署に行き英文の納税証書をいただきすべて銀行から残高証明、市役所からそして戸籍抄本等をもらい自分で作成した2,3の書類もそろい、FBIからの無犯罪証明の連絡を待っていました。

1と月くらいで届くとネットには会ったのですが、8月末になってもFBIからの無犯罪証明書は届きません。私は仕方がないので今回もFBIからの証明書を除き、他のすべての書類をマニラに送りました。 まさに締切ぎりぎりでした。無犯罪証明がFBIからなかなか届かないので、FBIのインターネットのサイトを調べてみると、それまで無犯罪証明書は「28日以内に送ります」と書いてあったのが、なんと「12週間から14週間はプロセスにかかるりさらに郵送で幾日かかかります」変わっていました。私は少なくとも10月までにはFBIから証明書が届くだろうと思ってました。この頃になると私もこれまでやったのだから、できたら移住したいと言う気持ちに変わり始めていて、早くFBIから手紙がとどかないかと毎日のように郵便受けを確認していましたが、届く気配は微塵もありませんでした。
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後藤久美子と聞いて思い浮かべるのは今の人は 「国民的美少女」として
タレント、モデル、女優で活躍され外人レーサーと結婚された人と思う人が多いのでは?

でも私は違います。後藤久美子と言うのは

この方です。

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可愛いベイビーと言う曲を中尾ミエと競作で歌ってました。私より2歳年下で
小学生として可愛いベイビーを歌っていて私はこの子の持ち歌だと思ってました。

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サンフランシスコでは一軒家に一人で自由に暮らし、楽しい日々があっという間に過ぎていきました。もうほとんどカナダ移住の事は、そして移住の申請をしていたことさえ忘れかけていました。申請してからすでに7年が経とうとしていたからです。私の周りで環境は大きく変わっていたのです。

私は日本の生活に慣れていき、ほとんどカナダ移住の申請を忘れかけていました。そして2014年の5月に、マニラの大使館から1通の手紙が舞い込みました。その内容はこれから移住申請のプロセスを進めるために、以前提出した書類の最新のものを提出してくださいと言うものでした。文面には最新にすべき24の書類がリストアップされていました。そして手紙の最後には、この手紙の日付から120日以内に書類の提出がなければ、あなたの申請はキャンセルされますと書いてありました。

  日本に定住する気持ちでいた私は「なんで申請から7年後の今頃こんな手紙をよこすのか」と腹立たしい怒りの気持ちがありました。もう、カナダに移住するという意思も理由も私にはありませんでした。新たな書類をそろえるにはそれなりの労力がいります。それに例え最新の書類を提出してもまた書類審査にすくなくとも2,3年待たされるかもしれないと思うと、さらに年をとり、とても新たに書類を提出する気にはなれませんでした。私には手紙が来た嬉しさでなく、なぜ今頃こんな手紙をよこすのかと言う腹立たちさがありました。120日余裕があるし、その気になったら書類を出そうと思い部屋の隅に手紙を押しやりました。そして私には、楽器の練習とカルチャー教室での講義の日々追われてその書類の事は忘れていきました。
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最近は尺八の演奏のボランティアなどの話題ばかりで、絵の方はどうなっているのかと言う質問を受けたので
絵も描いていると言う証拠写真。


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後姿では本人かどうかわからないと言う声も、、、、、、。
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今月の最後の慰問に隣町のデイケアーセンターに行ってきました。
曲名はホ呑ど同じ。先週の土曜日から5日ほとんど1日お気ぐらいでありました。
こんなことはもうないでしょう。

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とは言うものの来月は2回あります。

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2012年の暮れにニューオーリンズで世話になっていた友人が、亡くなり私はニューオーリンズの拠点を失いました。

もうニューオーリンズには戻るところが無いという現実はありましたが、何とか戻ってきたいとも思っていました。戻る機会を作るという事で2年後に個展の予定をギャラリーに約束してきました。
2013年は日本での生活のベースを作っていこうという気構えで進んでいきました。たまに海外に出られる機会があればいいと思っていました。そのためこの年の暮れから翌年まで、ニューオーリンズのギャラリーオーナーの親戚がサンフランシスコの家が3,4か月留守になるので、留守の家に滞在してもよいという話を言われていて、西海岸にも住んでみたいと思い12月から翌年の3月初めまで滞在する約束も取り付けてありました。この時に友人に預けたあった荷物などかなり処分、または持ち帰得る予定でした。私の気持ちは少し未練があるものの、益々日本で生きていくことへの気持ちが増幅していました。カルチャー教室も2つのクラスで教え始めましたし、やってみたかった公民館の尺八のサークルにも籍を置きました。私の日本での毎日は楽器の練習とカルチャー教室で埋められ、充実していました。
やがて暮れになり、私はカルチャー教室から3か月の休暇を取り、これが最後になるであろう長期の海外滞在のためにサンフランシスコに向かいました。
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サンフランシスコでは一軒家に一人で自由に暮らし、楽しい日々があっという間に過ぎていきました。もうほとんどカナダ移住の事は、そして移住の申請をしていたことさえ忘れかけていました。申請してからすでに7年が経とうとしていたからです。私の周りで環境は大きく変わっていたのです。
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