<   2007年 06月 ( 32 )   > この月の画像一覧

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知人からもらった画像。ここが懇親会の会場。カフェドパリ。


版画協会の年に一度の総会が展覧開会期中の本日開催されました。
それに引き続き近くのホテルにあるカフェで懇親会という飲み会のようなものが
行われました。
多くのメンバーに会うのは年に1度くらいなので出席。
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ニューオーリンズでお世話になっている方が今夜長い旅の末、やっと到着しました。
お疲れさま!
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私の罹ったというか、発病した急性肝炎B型というのは多くは母子感染によるものが多いといわれる。幼児の頃感染しウィルスを持ってしまったキャリアーだったと言うことである。案外日本人と言うかアジア人にはキャリアーが多いと聞いたことがある。キャリアーなのでいつ何かをきっかけに発病するかもしれないのである。また、一生発病しないでいる人もいると言える。
私もこのキャリアーだったと言われました。発病の頃はウィルスの数が多くなり、つばとか体液、血液、排泄物をとおして感染する可能性があるらしい。それで一応他の患者から隔離されることになる。

私も医者に肝炎を宣告され、感染の危険があるようなことをいわれ、大部屋で非常に居心地が悪かったのですが、医者の無神経な言動があった翌日午後に幸い二人部屋が空き、そちらに移される事になりました。
常に身体を横たえていなければいけないという病気なので、自分で起きて歩いていけるくらいなのですが、大部屋のベッドから移動用のベッドへとそれから二人部屋のベッドへの移動は看護婦4、5人がかりでシーツごと持ち上げて移し変えられました。

6人もの大部屋から2人部屋は気が楽で状況がかなり改善されたと思いました。
さて、これからこの部屋で一緒に過ごす相手はどんな人かと少し不安もありました。とってもいやな鼻持ちなら無い奴なら、耐えがたい入院生活になってしまいます。

同室になった男はKといい、私より4つくらい年上でした。なんと私と全く同じ日に、同じ病気で入院していたと言うことでした。私の心配は杞憂でKは人当たりがよく、話が面白くなかなか楽しい人でした。さてこれからひと月くらい私とKの同室生活が始まるのでした。

つづく
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今日が群馬版画家協会の恒例の展示会の搬入日。
みなさん作品を持ち寄り、助け合いながら展示をしました。今回は大きな第一会場が取れずに
少し小さめの第二会場だったので、ひとりの作家の展示スペースが狭くなりました。
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ついでに少しだけ作品制作の苦労を語る金田優さんのビデオをどうぞ。

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入院生活と言うのは初めての経験で、6人の見も知らぬ他人と寝食をともにしなければいけないというは非常にいやでしたが、仕方ありませんでした。
入院してまず、医者から言いつけられたことはなるべく仰向けに寝ていなければいけないと言うことと、食事の時以外は常に寝ていなければいけないということでした。特に何処が痛いということも無いのに寝ていろと言われるのは辛いことです。それも同じような姿勢でいなければいけないというのは。
私は真面目で早く治りたいと思っていたので、医者の言うことは忠実の守ろうとしました。しかし四六時中仰向けに寝ているのは不可能です。融通の利かない私はそれでもなるべく指示をまもるようにしていました。しかし、2日目からは背中と腰がずっと寝ているせいでたまらなく痛くなりました。もうこれ以上寝ていられないというくらい辛い痛みでした。食事の時だけ上半身を起こせるので、その時が唯一の救いでした。
食事と言えば入院一日目からおかゆが出て、「ああ、病人になったんだなあ。」と否が応でも実感が湧いてきました。
おかずはたんぱく質のものと言うので豆腐とか豆類、魚などが良く出てきました。

さて入院生活で非常に困ったことがありました。
それは何を隠そうトイレについてです。
別に体が不自由ではないのでトイレくらいは自分でいけます。私は行けるものだと思っていました。ところが行かせてもらえないのです。トイレもベッドの上でしなさいと命令が出ていました。
「ええ~っ、ベッドの上で?!」
潔癖症の私はこれには仰天しました。
大部屋なのでカーテンの仕切りがあると言うものも、隣の人がすぐ近くにいる状態でトイレを使うのはわたしの性格からして絶対に無理。それでもこちらの意向に関係なく容赦なくもよおすものはもよおしてきます。我慢の限界まで辛抱してついに仕方なく、ベッドの上で用を足そうとしましたが、わたしの理性がブレーキをかけます。もようおしているのに、でないのです。ベッドはトイレではないと言う理性が打ち勝っていたのです。苦しくて死にそうでしたが、用が足せません。こうして4、5日過ぎました。そして主治医にトイレの時は簡易トイレを使わせてもらい、ベッドの横で用を足せるように懇願し、仕方がないと納得させました。そして、5日目くらいにやっとみんなが寝静まった夜中にそっと用が足せ、一息つけました。

私が入院したと言うことを大げさにしたくなかったので、親類とか近所に人には秘密にしていて、私には見舞いに来る人はいませんでした。そのほうが気が楽でした。
大部屋のほかの人には昼間ひっきりなしに見舞い客などがよく来ていました。その見舞い客についてひとつ変だなと言う事に気付きました。
それは見舞いに来た人が帰っていくときに患者さんにかける言葉でした。
「それではどうぞお大事に」
と言うのが普通の日本語だと思っていましたが、この病院に来る人総てが帰るときには口をそろえていうのです。
「お大事なさい」 と。
大事にしてくださいと言うのなら良いけど大事にしろと命令形で言うような表現です。
これは日本語として絶対におかしい。それとも私がおかしいのか。とにかく非常に耳障りな表現でした。かなりあとになって、これはこの地域の方言かと思っていたのですが、群馬ではなぜがこういう表現をすると知りました。

閑話休題。
入院して1週間も経った頃でした。入院の際に行った色々な検査の結果が出てきました。私は丁度夕食を食べ終わった頃でした。私の主治医が検査結果の報告に来ました。
医者は私がB型肝炎であると告げました。それに続く説明を小さな声で私に言ってくれるならいいのですが、その若い医師は大きな声で部屋中に聞こえるような声で言いました。
「この肝炎は感染します。だから食べた後の食器なども、これからは使い捨てになります。この食器はもう使えませんね。」そういったかと思うとプラスチックのご飯茶碗と皿などをバンバンとそばにあったごみ箱に力強く投げ捨てました。部屋中の人がこっちを見ました。「とにかくあなたの病気は感染するから、面会謝絶にします。」部屋中の人が「感染」と言う言葉を聞いてひいていくのがわかりました。
私はこの若い医師の無神経さに腹立たしくなりました。
私は大部屋に非常に居心地の悪い状況になってしまいました。

つづく
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現在読み進めている英語の本です。
実はこの本2年程前に読み始めたのですが、読みづらく4ページほどで挫折しました。

今回は2冊英語の本を読んだあとだったので、英文に慣れそれほど読みづらいと言う印象も無く読んでいます。しかしストーリー展開がかなり遅く、主人公が実際の犯罪を元にした小説を書く作家と言う設定で、かって扱った事件の人物名がやたら出てきて、読んでいて混乱しやすい。前に挫折した気持ちが良く分かります。70ページくらいのところから(370ページの本)やっと確信の事件が語られようやく本題へと進んでいきます。

ストーリーは友人の死をとおして、主人公が40年前に起こった殺人事件にかかわると言うものです。過去の犯罪の調査を行うアメリカの人気TV番組「Cold Case」 を連想させるような設定です。 
40年前、若い女の人の血に染まった緑の衣類が発見されます。当時はDNA鑑定など無く、血液が彼女のものかもはっきりとは分からないまま、最後にその若い女の人と一緒にいたところを目撃された男が殺人犯として逮捕されます。死体が発見されること無く、検察官は状況証拠だけでその男をかなりのスピード裁判で死刑へと導いていきます。
主人公の死んだ友人がこの事件を調べていたということを知り、主人公はこの事件の裏に潜む秘密を調査していくというものです。

作者はアメリカ南部アラバマ州の出身で、この物語も南部を舞台にしています。
死刑になった男は黒人で裏に人種差別の問題を絡めているのでしょうか。ただいまのところ
この男が黒人で差別待遇を受けていたと言った記述はありませんが。
ミステリー物より人物描写など性格などが事細かに書かれていて普通の小説的な感じがします。

なおこの本は、文春文庫から「闇をつかむ男」というタイトルで訳本が出ているとの事。
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町の南に位置する牛伏山。その山の頂上へと向かう自動車道の路沿いにたくさんのあじさいが植えられていて今がその盛り。この時期には来た事が無かったのでこんなにもあじさいがうえられているとは知りませんでした。
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動画でとってみたので、車の中からのあじさいの様子をご覧ください。(運転しながらの撮影は危険!・・・・と分かっていながら撮影)

どうです、延々と続いていくでしょう。頂上近くまで続いています。
ただ残念なのは花の色が水色ばかりと言うこと。
ちょっと離れたところに紫のものもありましたが・・・。稀ですね。
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山の中腹に駐車場があり、車をそこにおいて山道の階段を歩いて登ることも出来ます。その道の脇にも紫陽花が咲いています。
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今度は少し歩きながら撮影した動画をどうぞ。


紫陽花好きの人は遊びに来ては?
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場所:群馬県多野郡吉井町多比良
上信越自動車道の吉井インターからすぐです。

吉井町観光局の回し者より
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その鏡に映し出された美青年の顔に惚れ惚れしました・・・・・・なんて冗談を言っている事態ではありません。

鏡に映る自分の顔の目を見て「ぎゃーっ、宇宙人!」と思わず叫びそうになりました。なんと私の目の白目の部分がまっ黄色に変化していたのです。まるでSF映画に出てくる宇宙人とかホラー映画に出てくる怪人のような目でした。これは異常だ。絶対に異常だ。
医者嫌いな私もさすがにこれはどうしても医者に行くべきだと決心せざるを得ませんでした。

d0000995_17194244.jpg意を決して街の小さな病院に行来ました。その病院はあまり盛ってはいない感じでした。
引退してもよさそうな老医師は私を診察すると

「あなたは肝炎ですな。まあ、肝炎は贅沢病といわれるくらいだから、たっぷりの静養と高たんぱくの食事をしていれば1ト月くらいすればなおるだろう。まあ、アサリをたくさん食べるんじゃな。」

と簡単に言うのです。
「な~んだ、そうか。そんなに心配することでもないのか。」と私は胸をなでおろしました。

しかし静養と言うと仕事を休み、なるべく何もしないようにしていなければなりません。
当時埼玉の寮に住んでrいたのでひと月実家に戻り、実家で静養しようと思いました。

実家に戻り、状況を説明しました。突然戻ってきた息子に驚いたようでした。病気だと知って2度ビックリ。もっと詳しく医者に診てもらった方がいいと、隣の市にある厚生病院に行くことにしました。
厚生病院は人で溢れ返り、長い時間待たされました。、やっとの事自分の番がやってきました。
朝来たのにすでに昼近くになっていました。私は病名がわかっているので、「では薬を処方しますから、家で安静にしていてください。高タンパクの食事をとっていてください。ひと月もすれば自然治癒するでしょう」といわれるものと思っていました。
ところが若い医者は
「確かに肝炎ですね。ではあなたは即入院してください。」
「ええ~!」

入院だなんて、心の準備も何もしていませんでした。家に帰ってパジャマとか持ってきますということも言えず有無を言わさずの強制入院でした。
入院するほどの病気だったのか。町の老医師の言い方ではただ寝て食っていれば直るような印象の言葉だったので、この展開に驚いてしまいました。

入院と決まると私は車椅子に座らされ、あちこちと検査のために色々な部屋に連れまわされました。何がなんだかわからず、初めての入院という経験をさせられる羽目になりました。
すべての検査が終わるとわたしは寝台車に乗せられ数時間放置されました。病室の準備ができるまでということでした。不安なまま数時間が経過して、やっとの事私の病室が決まりました。
病室は6人の大部屋でした。3つのベットが部屋の両脇に並んでいました。幸い私は3つのうちの入り口の近くの端のベッドでした。ほとんどが老人の大部屋で私の入院生活がはじまるのでした。

つづく
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懐古的読み物シリーズ・・・でなく回顧的読み物シリーズとして書いて行きたいと思います。

わたしは20代の後半、ある病に倒れ(大げさ!)なんと3ヶ月も入院させられたと言う悲しくも辛い人生の一幕があったのでした。その時の体験談を綴っていこうかと思います。闘病記というと悲惨な感じがあるので、あえてその言葉は使いません。闘病記などというと読むほうも、気分が滅入ってくるようなものになりがちですが、その心配は要りません。
軽く面白おかしく(実際、気楽な入院生活でした)書いていきます。
前書きはこれくらいにして、では始めましょうか。


1982年の秋の半ばの頃でした。なんとなく体調がおかしいということに気がつきました。
風邪かな?と思いました。ちょっと体がだるいような気がしました。でもそれだけで別にたいしたことも無く、普段どおりの生活をしていました。
そのうちにおなかの具合が変で下痢が続きました。出すものを出すとおなかが空きます。スーパーへ行って、食べたいと思うものを買ってきました。空腹なので買ってきたものを早速食べようと口に運びました。ところがどうしたことか、空腹と言う脳からの命令に反し、胃のほうが受け付けません。ちょっと食べただけで、吐き気をもようして2口3口でそれ以上は食べられないのです。ある日どうしても食べたいものがあり、それを買ってきて食べましたが、やはり食べたいと思うのにちょっとだけで吐き気が襲うということがありました。そんな日が何日も続きました。そのうちになんだかいつも腹が張っているような状態が起きました。
食欲に関する状態が何とか治まった頃、背中に鈍い痛みを感じ始め、それに伴い強い疲労感を覚えるようになっていきました。
こんな状態でも病院にも行かずに、そのうちに何とかおさまるのではないかと思っていました。
とにかく一番の症状は疲労感で、背中が痛いというものの耐えられないほどの痛みが四六時中あるわけではないので、無視をしていました。
その頃私は塾の講師をしていたのですが、ある日ついに疲労感で教壇に立っていられない状態にまでなりました。やはりこれは何かおかしいとやっと自覚しました。
そんなある日の朝、顔を洗ったあと鏡に映る自分の顔を見てビックリ仰天しました。
「な、なんだこれは!」

つづく
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