<   2006年 05月 ( 29 )   > この月の画像一覧

追加 写真
d0000995_05685.jpg

ソルトレークシティから両親へ出した絵葉書。葉書の横に小さな布に入ったソルトレークで取れたと言う塩が入っていた。日本に届いた時にはほどんどなくなっていた。


朝早く着いたソルトレークシティは道はだだ広く、周りに見える山と言うか丘は木もあまり生えていない禿山のようだった。その禿山のせいでしょうかなんか埃っぽい雰囲気のある町と言う印象が強く残っている。

ソルトレークと言えば私がまずぴんと来るのがモルモン教の総本山があるところというイメージであった。日本でも人気のあったオズモンド・ブラザースがモルモンの信者で彼らとソルトレークが密着して記憶されていた。またモルモン教は日本でも広く布教活動をしていて、故郷の隣町を歩いていた時若いモルモンの人に話し掛けられたことがあった。
d0000995_17255671.jpgとにかくモルモンの総本山に見学ツアーがあるというので、バスに来た連中と一緒になってまずはそこへ見学に行くことになった。
朝食後一番に行ったので、開館の9時にはまだなっていなかったのでしばらく時間つぶしにそのあたりをぶらぶらと歩き回った。そしてまた戻り、案内付きのツアーで館内を見学したのだが今となってはほとんど記憶がない。館内を見てまわったと言う希薄な記憶だけで何を三鷹の記憶が完全に飛んでいる。結局それほど興味があるものだったものではないからだろう。

5,6人でここまで来たが、このあと気の合う一人と二人でソルトレークの町を散策した。貧乏旅ゆえ昼食は見つけたスーパーでちょっとした物を買い、市庁舎の近くの公園のような広い芝生の上で食べた。
そしてまたその後の記憶がほとんどない。

とにかく夕方近くになってバスデポに戻ると、モルモンの総本山で分かれた同じツアーの何人かとまたあった。これから先どう行くかと言う話になる。ほとんどのものはこれから南下するルートを行くと言う。私はとにかくニューヨークを目指したかったのでシャイアン経由でデンバーに行くことにする。するとツアーの一人が自分もそちらに行こうという。
こうして、サンフランシスコから一緒に来た仲間数人と別れ、ソルトレークからは二人だけの旅となった。
[PR]
今、日本の美術界では今年芸術選奨で文科大臣賞を受賞した画家の盗作騒ぎが持ち上がっている。彼ほど名の知れた(私は知らなかったけれど)画家があのような作品を堂々と自分の作品として展示したとは全く驚きでした。

私が大学院の時教授は言いました。盗作はいけないが、流用は良い。
実際美術の世界では流用と言うことは行われてきていて、過去のものを踏み台にして新しいものを作り出すことは問題はないことである。
例えばマネの「草上の昼食」のあの構図はティツィアーノ(Titian)の「田園の奏楽」からの流用であると言われています。また彼のもうひとつの代表作「オランピア」もティツィアーノのVenus of Urbinoの構図を流用しています。
d0000995_22145871.jpgd0000995_22153646.jpg











d0000995_22171142.jpgd0000995_22203096.jpg







このように構図の流用と言うことは行われていました。また現代作家ではイギリスの画家フランシス・ベーコンがMuybridgeの写真や他の画家の作品を元に制作していることは良く知られています。彼の場合元の作品が何であるかがはっきりしていて、流用を隠す事はしていません。

またピカソとブラックがキュービズムのスタイルをお互いに競い合っていた時はどちらがどちらの作品かわからないようなものが多々あります。これはお互いに切磋琢磨して新しいスタイルを確立しようとしたコラボレーションと言えるかもしれません。

今回の盗作事件では原画とほとんど同じ構図、色使い、筆遣いで素人が見ても全く同じ作品とわかりこれは流用の範囲を完全に超えていることは明らかです。
また1作品ならまだしも10数点が盗作されたと言うことは全く驚いてしまいました。コラボレーションだとか言う言い訳もしていますが、それならば展覧会の時にコラボレーションした画家の名前も述べ、競作だと言うべきでしょう。しかし相手はコラボレーションしたことはないと言っているので、苦しい言い訳ですね。

実力がある作家でありながらなぜこんなことをしたのでしょうか?自作への行き詰まりがあったのでしょうか?
言い訳を言って言い逃れるより、きちんと認めるべきでしょうね。
[PR]
d0000995_21121157.jpg

この初めての旅行では約1ヶ月をグレイハウンドというアメリカ全土を網羅しているバスを使い、大雑把にアメリカ1周を試みようとしました。グレイハウンドはアメリパスというバスの周遊券があり、私の時代は15日間で$165、1ヶ月で$225そして2ヶ月で$325という3種類がありました。周遊券はクーポンになっていて行く先を書き込めるクーポンが何十枚か小冊子風になっていてバスデポ(バスの停留所)で行く先を書くかスタンプを押してくれました。1冊のクーポンが終わっても有効期間中なら何度でも新しい物を発行してくれました。
d0000995_21125718.jpg

当時実際に使ったグレイハウンドの周遊券








d0000995_21155777.jpg



当時のソルトレーク行きのグレイハウンドの時刻表





大きなバスで後ろにはトイレもついています。私の頃はまだバスの利用者も十分いたようです。バスデポには自由に持っていける多くの行き先別の時刻表が置いてあり、私はそこで次の目的地を決めると言う行き当たりばったり的な旅をしました。

さてアメリカにも4日目となり、私もいよいよサンフランシスコを去り、東へ向けてバス旅行の開始をすることになりました。ルームメートだった人とバスデポに行くと同じツアーグループの人、数人と合いました。彼らも今日サンフンシスコを発つということでした。彼らはこれからソルトレークの方面へ行くと言うことでした。私とルームメートもそれではそこまでいっしょに行ってみようかと、まずは5.6人でソルトレークへと向かいました。
今まだ持っている当時の時刻表を見ると、ソルトレーク行きのバスは午後1時30分にサンフランシスコを出発したことになっています。

バスはカリフォルニアの州都サクラメントを経由し、夕方7時過ぎにリノ(Reno)に着きました。リノはギャングるでも有名な町で小さなラスベガスと言ったような印象がありました。バスが町にはいるとカジノのネオンがあちこちに輝いていたように思います。私ははじめ間違ってラスベガスについたのかとさえ思ったほど。ここで40分ほどの休憩をしてバスの乗客は夕食を取る事になりました。バスデポの中にあるファーストフードの店で何かを食べることになりました。メニューの書いてある看板を見て注文すると、良くわからないのですがどうも「それはない」と言っているようでした。ないならなぜメニューになるのかと言ってやりたかった。、売り切れかな、それならそれと何か貼っておけば良いのにと思いました。とにかく一応なぜないのかと聞くとそれは朝のメニューだと言いました。なるほど良く見ると朝の何時から何時までと書いてありました。ファーストフードのレストランでも朝メニューがあるということを初めて経験した出来事でした。

バスは夜のネバダ州を進んでいきました。窓から月が見え、なんとなくこれから始まる旅行への期待とともに一人異国にいるという感覚がちょっと寂しいような不思議な感情に包まれました。眠いようなしかし眠り込めない朦朧とした時間が過ぎていき、何時の間にか外は白み始めやがてバスはソルトレーク市に到着しました。朝の7時40分過ぎでした。
[PR]
さて旅行者からあらかじめ用意されていた2日間のホテルは今日限り。
本日からは全くの自由行動というか、すべてを自分たちでやっていかなくてはなりません。やく1ト月後にロスアンゼルスに集合するまでアメリカ自由旅行となります。

さて、ホテルをチェックアウトする前に荷物整理やちゃんとパスポートを盗まれないように母親が作ってくれた首から下げる袋に入れようとしていたのですが、確認のためにパスポートの中を見てみました。
ビザのスタンプが押してあるページの下のほうには入国審査官が押してくれたスタンプがあり、そこには許可されている日付が書いてあります。
初め何気なく見ていたその日付。なんかおかしいと思った。

げ!

が~~ん!

なんと入国審査官が書いた日付は Feb 15 となっていたのです。2月15日まで!
2月15日って・・・・・・・・・

今日ではないですか!!

と言うことは今日私は出国しないと不法滞在!?

もうあせって大慌て。どうしよう、どうしようと頭が大混乱。
あの入国の時の審査官の良くわからなかった質問に適当に YES と答えてしまった結果がこれだったのでしょうか?

とにかくこのツアーはJTBがやっていたのでJTBに連絡。すると旅行前にある手紙を全員に配っておいたからそれをもっていれば大丈夫だろうといわれました。
それがこの手紙。
d0000995_11185680.jpg書いてあることは、要約するとこの人物は往復の航空券を所持していて帰路のチケットはコンダクターがロサンゼルスから帰国するまで管理している。
このツアー参加者の両親が旅行中の経費は保証している。

そして往復のフライトナンバーと日付が書いてあります。

手紙の内容をみると確かにこれで大丈夫かなと思いましたが、でも初めての事ゆえ不安でした。もしどこかでパスポートの提示を求められて、日付を見て不法滞在者と思われたらどうしようと思うとこの先の旅が不安で不安で仕方ありませんでした。
何かあったときは日本領事館と言うことも聞いていたので、サンフランシスコ日本領事館に電話して一応この件について聞こうと思いました。
初めての海外での電話ということで電話かけるのさえ緊張しました。

何回かの呼び出し音がなり、やっと誰かが受話器を取りました。
私は即座に
「もしもし」と日本語で。すると電話の向こうからなにやら英語で答えが帰ってきました。アメリカにいるのだから英語で返事が来るのは当然なのですが、日本領事館にかけているので日本語での応答と単純に考えていた私は、突然の英語に頭が真っ白。二の句が告げなくなりました。
相手は更になにやら英語で質問しています。しかし私は固まってしまい返答が出来ません。もうなんと言っていいのやらわかりません。沈黙していたので当然相手は悪戯電話とでも思ったのでしょう電話を切ってしまいました。
体制を取り直し、しっかり質問する英語を頭に叩き込んで電話のかけなおし。「日本語の話せる人をお願いします」と英語で頼み、何とか日本人の人と話が出来、領事館の人もその手紙があれば問題はないだろうと言ってくれたので気が楽になりました。それに普通はパスポートの提示を求められることはないようですし。
ところが実際旅の終わりに近い頃このパスポートのおかげである事件が(おおげさ)起こりました。(それはまたその時までのお預け)

とにかくパスポートは一件落着。
では今日からはどうし様かと思っていました。ツアーの仲間の人はすでにサンフランシスコを出て次の目的地にグレイハウンドで向かった人もいたようでした。
私はサンフランシスコが気に入ったのでもう一日滞在しようと思いました。
同じ考えのツアー仲間がいたので、彼と一緒にその日はYMCAに宿泊することになりました。ホテルから比べるとYMCAの部屋は小さく小汚い感じでわびしい感じになりました。
[PR]
アメリカ2日目は全くの自由行動でした。
詳しい下調べをしてこなかった私はルームメートの誰かと(誰だったか覚えていない)行動をすることにした。
d0000995_2391583.jpg


サンフランシスコと言えばなんと言ってもゴールデンゲイトブリッジとケーブルカー。ではいけるところまでケーブルカーに乗ってとにかくゴールデンゲートまで目指そうと言うことになる。上に掲載した地図で言うと私たちのホテルは右下の方にある。ゴールデンゲイトブリッジは左上のあたりにあり距離的にはかなり離れています。
とにかく一番近くまで行きそうなケーブルカーに乗り、目的地を目指しました。とにかくケーブルカーと徒歩である程度までたどり着きました。せいぜいこの写真くらいの近さだったと思います。
d0000995_2394225.jpg


帰る頃にはものすごい霧が出てきてゴールデンゲートブリッジの姿を隠してしまいました。
細かい記憶がないので日記に頼って書いていますが、大体このゴールデンブリッジへ行ったのがこの日のメインの出来事だったようです。
日記によれば夜グレイハウンドのバスディーポの様子を見に行ったようです。あすはみなこのホテルから出なくてはいけないので、一応どんなところなのか知っておこうと思ったのでしょう。

そして翌朝ついにあの入国審査での問題が発覚します。

と言うところでまたつづく。
[PR]
d0000995_15524978.jpg初めて留学と言う形でニューオーリンズに行った時、ガレージセールでこの本を見つけました。
"A wister of Twists, A Tangler of Toungues" という英語の早口言葉を集めた本です。英語の勉強にもなるし、読んでもなかなか面白い本です。
本日genovaさんのブログの記事にコメントを書いていたとき、偶然早口言葉を思いつき書いたのですが、その時にの本を思い出し、この本から読者の皆さんに紹介していこうかなと思いたったわけです。
この本にはたったの2語からなる短い早口言葉から3ページにも及ぶ長編の早口言葉まで収録されています。本の後ろには世界の早口言葉として日本の「生麦 生米 生卵」も紹介されています。

早口言葉はアナウンサーの訓練などに使われているのは良く知られていますよね。もっとも面白い使われ方をした例としては第2次世界大戦中にドイツに占領されたポーランドでレジスタンスの人たちが本当に仲間のポーランド人か確かめるため外人に正しく発音するのが難しい言葉を合言葉として使ったそうです。文字を見ただけでも、なんと発音するのかわかりません。下がその合言葉。

Chrazaszcz brzmi w trzcinie

とてもカタカナにもできません。

さて第1弾の早口言葉はお医者さんの早口言葉。難しい言葉は使われていませんが、英語を母国語としない人にとっては、これを音として聞いた場合ちょっと混乱し、意味を掴むのがかなり難しいのではないでしょうか?

If one doctor doctors another, dose the doctor who doctors the doctor doctor the way the doctor he is doctoring doctors?
Or does he doctor the doctor the way the doctor who doctors doctors?


日本の早口言葉にはあまりまともな意味のあるものはありませんが、英語のものは一応理論的な意味があるというのが凄いですね。
[PR]
d0000995_22412825.jpg下の記事(Solitude Point)の映画の舞台がバトンルージュ(赤バトン)だったので、バトンつながりでnovaさんのお友達のtsurumannenさん(Yoshiさんとも呼ばれているのですが私にはすでにロンドンのYoshiさんがいるのでtsurumannenさんと呼ばせていただきます)から渡されていた黒バトンのお答えでもしましょう。
古くからの読者にはもう知られているような内容が多いかもしれませんね。
以下の9つの質問が回ってきました。




1)バトンをお願いしたい5人を先に書く
2)お名前は?
3)年齢は?
4)職業は?
5)趣味は?
6)好きな異性のタイプは?
7)特技は?
8)資格はありますか?
9)悩みはありますか?

1)5人の人ねえ・・・・。
リンクした人とかコメントしてくれた人を5人をあげますが、強制ではないので指名された人はご自分の意志でご自分のブログにお答えください。(あるいは無視してください。)

「トホホの中年日記」のmsj19さん
「大文字」のgionbayashiさん
「ロココの風」のrococoさん
「ようこさんの独り言」のyokoさん
「ちょっとシニアチック」のさむさんに

2)名前
本名:あ●いま●ひ●

これまでのハンドルネーム:
シーラーの弟子
鈴木太郎
まあぼう
へなちょこ
Henachoco
Choco
ま~さん
Marrrsan
だん兵衛
だんべえ
Dan Bay

ペンネーム(昔、漫画家とか作家にあこがれてた時考えていたもの):
砂上 柾 (いさがみ まさき)
森 起太 (もり おきた)←北 杜夫から
森尾 岐太 (もりお きた)←北 杜夫からの別バージョン
呼木 定高 (こぎ さだたか)←加賀乙彦の本名小木貞孝から
戸増 満 (とます みつる{まん}) ←トーマス・マンから

3)年齢: きっぱり52歳と言える自信家。(何の自信?)
そういえばtrumannenさんがこの答えに誕生日を書いていて
       彼と同じ誕生の日で1月10日と言うことが判明。山羊座と言うところまで同じ!
       (当たり前か)

4)職業:趣味が職業に。

5)趣味:職業が趣味。

6)好きな異性のタイプ:20代前半の頃の梓英子(若い人は知らないでしょうね。森光子の娘役をやった「恋しかるらん」で初めて知り、西郷輝彦のドラマ「どてらい男」では妻の役、北杜夫の「楡家の人びと」では藍子、CMでは赤玉ポートワインが記憶に残っている)さすが懐古的TVをカテゴリーに持つ男。昔のドラマに詳しい!!

7)特技:芸能ニュースの記憶力。役にも立たないこと良く覚えられる。

8)資格:運転免許証(日本とアメリカ)、英検2級、フォークリフトの運転資格、日本語教師講座を受け一応修了(資格かどうか?)

9)悩み:心も外見も美しすぎること。(と言ったら冗談は顔だけにしておけと言われそう。最近は      身体も冗談がきつくなってきていると言われる。)
      ブログの読者がなかなか増えない。
      ブログを作りすぎている。
      このバトンの質問に対してあまり面白い回答が出来なかったこと。

[PR]
日本では今、渡辺謙主演の若年性アルツハイマーを扱った映画が「明日の記憶」が話題となっています。このニュースを聞いて思い出した映画があります。

今から6,7年前でしょうか。
ニューオーリンズのチューレーン大学では毎年日本人会などが主体となってジャパンフェスティバルのような事を開催していました。その時に日本の映画などを上映したりしていました。友人に日本の映画が何本かチューレーンのマックアリスター講堂で上映されるから見に行かないかと誘われ行って見ました。
d0000995_16261098.jpgその時の映画が日米合作のような映画「Solitude Point」(日本題 ユキエ)でした。この作品をプロデュース、初監督した松井久子さんが上映前に講演をすると言うのでそれにも興味がありました。
後に知ったのですがこの作品は芥川賞を受賞した吉木目晴彦氏の「寂寥郊野」と言う小説を元にしたものだです。

松井さんの話によればこの小説を読んだ時からぜひこれを映画化したいと思っていたそうです。しかし資金的な面でなかなか難しかったようです。知り合った新藤兼人監督に脚本を頼み、監督からの薦めで初めて自分で監督して製作することになったということです。資金的なことで日本で製作するのは難しく、芸術的なことに援助的なシステムのあるアメリカで助成金などを得て製作にこぎつけたと言うことです。
また映画の終わり近くに皆さんご存知の歌 "You are My Sunshine" が流れますが、これはオリジナルを作ったジミー・デービスがこの映画のためにリテイクしたものだそうです。松井さんによればこの映画の製作準備段階でこの歌の作者がバトンルージュ近くに住んでいるというので訪問し関係を持てたそうです。映画の完成された年にジミー・デービスは95歳で亡くなりました。

「アメリカ・ルイジアナを舞台に、初老をむかえたアメリカ人の夫と、アルツハイマーという難病におそわれた日本人の妻の夫婦愛のドラマ。アメリカ・ルイジアナ州-戦争花嫁としてアメリカに渡ったユキエは、夫と静かに暮らしていた矢先、発達した現代医学の中でも不治の病といわれるアルツハイマー病にかかる。「スロー・グッドバイ」(ゆるやかな別離)にいたる日々を薄れゆく記憶と懸命にたたかう妻と、彼女を励まし愛し続ける夫の姿を、抑制のきいた静かなタッチで描き、生きること、愛することの美しさを、深い感動で伝える。」

と言う謳い文句ですが、映画としてはかなりスローなテンポで展開し、抑揚のきいたと言いますが、私は抑揚の無い平板に流れていく映画のように思えました。ただそれがもしかしたらアルツハイマーの人の視点的な意図ならばそれでいいのでしょうが、やはり初監督の仕事で映画のペースがもう一歩乗り切っていなかったような気がします。
映画としては倍賞美津子の演技が光っていると思います。またとても気の滅入る映画で見終わったあとも気が重かったように記憶しています。
アルツハイマーと言う難病を観客に訴えるにはこういった重さも必要だったのでしょうね。正直重すぎてまた見たいとは思いませんでした。
映画として救いを感じたのはやはり最後に流れる ジミー・デービスが歌う You are My Sunshine のメロディと歌詞ではなかったでしょうか。
 
[PR]
お気づきになりましたか?
何がって・・・・。

このブログの左メニューにある「管理人の他のブログ」というところです。
「群馬生まれの・・・・」はずっとありましたが、
私の作品を載せた「静謐な光と影」は一時更新が出来ないのではずしておきました。
しかしそろそろ復活と言うことでまた甦りました。
「静謐な・・」をやっているシーサーブログと言うのは複数のブログを簡単に作れ、管理も簡単です。シーサーにサインインすると持っているすべてのブログにアクセス出来楽なので、更にもうひとつ作ってしまいました。

それが「勝手にさむさんイラスト集」です。
これはロサンゼルス在住の水彩画家さむさんが自身のブログ「ちょっとシニアチック」挿し絵として描いたものをそれだけにしてはもったいないと私が作品を集めてブログでイラスト集として残そうと勝手に作りました。その後本人より承諾を得ています。ドローイングのソフトとハードを使って描かれた物でまだ完全に使い切れていない感じの線にまた味があり水彩画とは異なる面白さがありとても好きです。
皆さんもよろしかったら時々覗いて見て下さい。


初公開  さむさんのスタジオ&ギャラリー
ロス在住の方は一度見学に行ってついでに作品をぜひ、1枚・・・と言わず3枚でも4枚でもどうぞ。見学だけでも歓迎するようですから(?)時間のある方はぜひ。
d0000995_10595218.jpg

[PR]
最初の予定では朝8時にサンフランシスコに到着と言うのがスケジュールでしたが、有名なサンフランシスコの霧のおかげでロスに着き、そこで霧が晴れるまで数時間待ちました。
やっとロスを出発できたのは午後2時頃になっていたと思います。
まあ、若かったので1回余分に飛行機に乗れることになって得したと言うような気がして私はそれほどは不満を感じていませんでした。

そして、午後3時過ぎにやっと本来の到着地のサンフランシスコに着きました。もう入国審査は終わっていたので気は楽です。手荷物の出てくるところへ行き無事に自分のバックパックを見つけられましたが、中には荷物が出てこなかった人、バックパックの一部が壊れていた人など不運な人もいました。
サンフランシスコには現地のガイドが来ていてわれわれの人数を確認してから空港の外に連れ出し、大型バスのところまで案内しました。下の写真がアメリカ上陸後初の写真です。後ろのパンナム機に乗ってきたかどうかは不明。
d0000995_2157325.jpg


予定では少しこのバスで市内観光だったのですが、飛行機が遅れてしまいその時間が無くほとんどホテル直行となってしまいました。それでもとにかく始めてみるアメリカの町並み、私は食い入るように見ていました。これが夢にまで見たアメリカの街だ~と感動。
ホテルはダウンタウンの中心と言う感じのユニオン広場の近くのドレイク・ウィルシャーと言うところでした。サンフランシスコのツアーマップにも載っている良いホテルだったようです。
ホテルに着くとそこですでに決められていたルームメートと部屋割りの発表がありました。確か4人部屋だったと思います。ルームメートになったことで知り合った3人がこのツアーの中では一番親しくなった人たちだったと思います。

荷物を置いてちょっと休んでからルームメートと一緒に夕食まで近所を歩いてみることにしました。

この日の夕食はたしか旅費に含まれていて、あるレストランへとバスで連れて行かれました。席は当然部屋ごとの人になりましたが私たちの席にはガイドの人がいっしょに席についたと思います。このレストランで以下にアメリカの料理の量が多いかと言うことを思い知りました。サラダでさえボールにいっぱい来たと思います。それだけで充分くらい。メインを食べてああ、満足したと思っていたらデザート。それもかなり馬鹿でかいケーキが出てきたように記憶しています。さすがいやしい私にも食べきれませんでした。

腹をすかすためホテルに帰ってからまた、少しホテルの近辺をルームメートと一緒に歩き回ってから就寝しましたが、アメリカについに居るのだという興奮で疲れていたのですがあまり眠気はありませんでした。そうするとパトカーや救急車のサイレンなどの音がやたら聞こえていたような気がします。さすがアメリカあちこちで殺人とか起こっているのかと単純に思っていました。
やがてうとうとし眠りにつく頃なんだかわかりませんが、やたらやかましい音が外から聞こえてきました。なんだろうと外を見ましたがわかりません。とにかく、長くその騒音は鳴り響いていました。そのおかげでもうその夜はまともに眠れませんでした。
[PR]