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今のところ危険な状態ではないようですが
本日、母親が倒れ、入院中のためブログの方はちょっと休みます。
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d0000995_21213495.jpg何故か静かな土曜日でした。
帰宅前にギャラリー前の夜景を撮影。
高いビルはこの市の市役所のビルです。
多分この市で一番高い建物。
ギャラリーはこの建物の隣にあり
ペデストリアンデッキで繋がれています。












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さて今日が群馬作家展の初日でした。
しかも今日は群馬県民の日。本日が群馬県が誕生した日らしい。
そのためでしょうか、いろいろイベントがあり、来場者は少なかった?
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ブログ読者のYさんが来たので双子になってもらいました。
許可が出ましたのでようこさんのお顔をつき写真公開です!!
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d0000995_2131856.jpg作家展といってももの書きの作家ではありません。
いろいろな主に工芸の世界で活躍している芸術家が集まった群馬の団体です。
中には群馬県の無形文化財に指定されている作家もいます。 

毎年春と秋にグループ展を開催します。
日本での他の展覧会と違い、プロの作家ということを強調し、
作品を売るということを(つまり作品を作りそれを販売し生活しているプロということ)
強く前面に出している日本でも珍しい団体ではないでしょうか。

江戸小紋、友禅、陶芸、木工、人形、こけし、切り絵、竹芸、銀粘土、絵画、版画、石刻、木工芸と実に幅広いジャンルの作品が一堂に会します。
パラエティにとんだ作品群で楽しめる展覧会ではないでしょうか?

私は今回、版画、ドローイングと他のブログで公開中の「一人で二人芝居」の写真を今回はじめて展覧会では公開します。
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ニューオーリンズといえば有名なのが、フレンチマーケット内にある
「カフェ ドゥ モンド」というこヒーショップニューオーリンズに行った人は必ずや行くといわれているカフェで最初にオープンしたのは1862年といいますから日本ではまだ江戸時代。
クリスマスとハリケーンで避難しなくてはいけないときを除いて24時間毎日営業しています。今回のカトリーナでしばらく閉めていましたが、10月の初めに営業を再開したという事です。
ここのチコリ入りのコーヒーとベニエという揚げパンはよく知られています。
ここではメニューとしてはコーヒーとこのベニエしかありません。

 
このカフェドゥモンドは実はダスキンが日本で経営しています。
関東、大阪、東北などに店があります。
わたしは日本では池袋の店に行ったことがあります。
池袋の店はニューオーリンズの店とは似ても似つかない
ファーストフードのお店という感じ。
メニューもサントイッチとかあるようです。やはり日本でやるには
日本人に受けるように変える必要があったのでしょうね。しかし私にはとてもこれは
カフェ ドゥ モンド とはいえ無い感じです。
 
これが池袋にあるカフェ ドゥ モンド
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久しぶりの猫ブログ。成長振りを見てください。
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育ての母と(左の白黒)生みの親が(手前)見守る仲で遊ぶ仔猫たち。

悪戯盛りのやんちゃな息子は育ての母と取っ組み合い。
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妹は見て見ぬ振り
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「それ、朝飯だ!いくぞ。」  「あ、まって~」
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1974年にNHKの銀河テレビドラマとして放送された番組。
原作は遠藤周作。ほとんどストーリーは覚えていない。
調べてみると

親子間の世代のずれがテーマとして話が展開する。小さな病院の老医師牛田善之進は、癌の研究結果を学会に発表しようとするが、閉鎖的な学会の厚い壁が彼の前進を止める。そして自分の患者を救うことができない自分の無力さに肩を落とす。一方、息子の竜馬も、大学という厚い壁に四苦八苦する。自分の思い通りにいかない、悲しみを背負った2人の懸命に生きようとする姿を描く。

というストーリーだったらしい。これだけ読むとちょっと重い話のようだが、遠藤の小説の中では「私が棄てた女」や「おバカさん」といったユーモアも含むエンターテーメントの小説のようだ。

では何故このドラマを覚えているかというと、知っている人は少ないと思うのだけど(大ファンを除いて)このドラマには山口百恵が竜馬役の小倉一郎の気になる女の子という役で出ていたからである。この番組は彼女の「赤いシリーズ」の第1作「赤い迷路」以前の作品で彼女がデビューして1年ほどの頃のことである。清楚な娘役という感じの役でたいした演技も必要な感じではなかったと記憶している。アイドルがちょっとドラマに出るという感覚ででていたように思う。
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d0000995_22571252.jpg「ときどき私は・・・」に続いて発表された石川セリのアルバムです。セリの現在の夫、井上陽水との出会いはこのアルバムがきっかけだったようです。
井上陽水は「ダンスはうまく踊れない」 「Flight」 「気まぐれ」(この曲は石川セリが作詞を担当)の3曲を提供しています。他にも長谷川きよし、矢野顕子、南佳孝、来生たかお、芝紀美子などそうそうたるメンバーが曲を提供しています。当時の矢野顕子の夫であった矢野誠がプロデュースをしています。このアルバムもいい曲が多く気に入っているアルバムです。
特に好きなのは芝紀美子の作った「Why」という曲と長谷川きよしの作曲作品「るれーぶえらび」(これはフランス語で人生と生活とか言う意味らしい)

収録曲
Moonlight Surfer
ひとりぼっちの日曜日
昨日はもう
Midnight Love Call
Why
ダンスはうまく踊れない
すれ違い Highway
Flight
るれーぶえらび
気まぐれ

フィリップスレコード 日本フォノグラム(株) 1977
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自動翻訳の悪さには評判がありますね。
ためにし私の卒論の文章を翻訳機にかけてみました。
これだったら英語のほうがわかりやすいでしょうね。
(これは本日の卒論の部分です。英語と見比べてみましょう)

しかしこの翻訳日本語を読んでいると頭が痛くなる。




写実主義とPHTOGRAPHY は部品1 多くの評論家によって 退去させる写実主義を.... 彼らは現実的に塗ることをその wasn't を何でも残そこに決定した; 従って, それはラインの 端だった。It's ないそのそこにwasn't がペンキにもう 任せた; それはそれらがdidn't たくさんあったことを見る想 像を有すること単にだった。そこのリチャードEstes は時だった 私が罪があると不快な作成の現実的な像に感じた。現代芸術の歴 史の間に, 多くの芸術家は写実主義から抽象的概念へ展開させた 。現実的な仕事を作成することは旧式と反進歩的かったですよう である。この異議に応じて, 私はMFA プログラムを入れる前に抽 象的なと実験仕事を試みた。私が形態を学んだ何とこの経験は私 が私の像を抽出する必要性を感じ, 私のためのそれを懇願しない こと非客観的で抽象的な像を取扱うことがだったことだった。し かし主に抽象的概念はし私がたかったもの実際にでなかった。そ れ芸術家であることは自分自身へ正直で非常に重要である。かか わっている私が実際にしたいものをに私はしかべきでない。私は 現実的な像を作成したい。写実主義が私の仕事で重要なぜである か2 つの理由がある。最初にi 価値技術的な技術及び draftmanship 。私のために, 進歩の技術的な面及び業積は内容と expressiveness のそれら重要である。私芸術を作成する為の文脈 として物理的な世界の価値訓練そして精密な観察。Spontaneity と直観は芸術家のための重要な資産であるが, 基本的な技術及び 概念の支配で基づかせていたときさらにもっと有効である。視聴 者がよく知られた目的及び場所の像に容易に関連できるので現実 的な像が直接viewer's の心を従事させることを二番目に, 私は考える。私によっては芸術家と視聴者間のコミュニケーショ ンが簡単, 容易親密でほしい。現実的な像がこの他のどの画像の 形態もより直接達成できることを私は信じる。私の仕事は知的な レベルでむしろemotinal 1 で伝達し合うように意図されていな い。それは喜び, 慰め, そしてmeditative 感じを促進するべきで ある。これを達成するためには像はすぐ魅力的でなければ, 読む ために, 入手しやすい誘う。視聴者がに関連し, 現実的な像で従 事できるので現実的な像は抽象的な1 つより容易に伝えるこれら の端を缶詰になる私達の物理的な世界の模造である。私が取扱っ ている何を精神状態についての多くであるのでそれ現実的なイメ ージを" sabi " を表現するために使用することが非客観的か意味 深長で抽象的なイメージより挑戦的であることを私はまた考えた 単語かある像で記述しにくい。
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MFA候補生再審査の口頭試験に合格すると、自分の専任の教授(スポンサーと呼ばれる)を含む最低3人の卒論を最終的に審査する教授を選びます。これは自分の好きなまたは自分の作品を理解してくれる教授を選択できますが、3人のうち一人は美術史の教授でなくてはなりません。
普通は副専攻の教授を選ぶのが普通です。私は版画が専攻、絵画が副専攻だったので絵画の先生を選ぶのが当然だったのですが、写真の教授を選びました。彼のほうが版画をよく理解しているのと、私の作品が写真に深いかかわりがあったので彼のほうが適していると判断したためでした。また彼のほうが話がしやすく、良い助言をしてくれるとかねがね思っていたからでした。

REALISM AND PHTOGRAPHY Part 1

Many critics dismissed realism .... They decided that there wasn't anything left to paint realistically; therefore, it was the end of the line. Its's not that there wasn't anymore left to paint; it was simply that they didn't have the imagination to see that there was a lot.

Richard Estes



There was a time when I felt guilty and uncomfortable creating realistic images. In the course of modern art history, many artists evolved from realism to abstraction. Creating realistic work seemed to be out of date and anti-progressive. In response to this objection, I attempted some abstract and experimental work before entering the MFA program. What I learned form this experience was that I felt no need to abstract my images and that for me dealing with non-objective abstract image was not appealing. But most of all abstraction was not really what I wanted to do. To be an artist it is very important to be honest to oneself. I should only be concerned with what I really want to do. I want to create realistic images.

There are two reasons why realism is important in my work. First I value technical skill and draftmanship. For me, the technical aspects of progress and accomplishment are as important as those of content and expressiveness. I value discipline and precise observation of the physical world as the context for creating art. Spontaneity and intuition are important assets for the artist but they are even more effective when grounded in a mastery of basic skills and concepts.

Second, I think the realistic image directly engages the viewer's mind because the viewer can easily relate to the image of familiar objects and places. I want the communication between artist and viewer to be simple, easy and intimate. I believe a realistic image can accomplish this more directly than any other pictorial form.

My work is not intended to communicate on an intellectual level but rather on an emotinal one.
It should foster pleasing, comforting and meditative feelings. To accomplish this the image must be immediately appealing, inviting, and accessible to read. A realistic image can more easily communicate these ends than an abstract one because the viewer can relate to and engage in the realistic image which is an imitation of our physical world. I also thought that using realistic imagery to express "sabi" is more challenging than non-objective or expressive abstract imagery because what I am dealing with is more about state of mind which is hard to describe in words or certain image.
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