カテゴリ:・懐古的本棚( 16 )

本棚をがさごそやっていたら、こんなもんが突然出てきました。

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同世代の人なら覚えているでしょうね。学年雑誌「中一時代」の付録として毎号付いて来た中一文庫です。漫画から小説を読むきっかけを私に与えてくれた文庫本です。推理小説とかが多かったように思いますが、中学生用にわかりやすく、しかもダイジェストして訳されたものが多かったようですね。

これは8月号の付録で、普通は1,2編の小説ですが3編も入っているちょっと分厚い文庫本です。分厚いとは言っても190ページほどですが、その頃の私には190ページもの文章が中心の本を読むのは相当の忍耐が必要でしたね。
収録されているのは、「緑の屋敷の秘密」、「金星脱出」、「わんぱくトム」という小説のダイジェスト版です。
「緑の屋敷の秘密」は有名なナンシー・ドリューシリーズの中の1作でアメリカでは人気のある少女探偵ものです。ハラハラドキドキして読んだ記憶があります。
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「金星脱出」はロシアのコンスタンチン・ウォルコフという科学者が書いたSFで、当時こういった宇宙を舞台にした漫画やTV映画などを好んでみていた中学生としては、非常に興味を持ちながら読み進みました。確か夏休みの読書感想文の宿題にはこの本を取り上げて書いた記憶があります。

最後の「わんぱくトム」と言うのは「悪童物語」として知られているもので、作者はドイツのルードイッヒ・トーマです。こういった小説には興味がなく、この部分を実際に読んだのはだいぶ後になってからだと思います。これは前の2つの小説と違い、ハラハラドキドキするような話ではないので、読む気がありませんでした。当時は推理小説およびSFが好きでそれ以外の本はほとんど読んでいません。

この付録の文庫本シリーズは何冊も長い間保存してありましたが、いつしか失くしてしまい、残っているのはこれだけになったようです。
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最初に読んだ土屋隆夫の推理小説で嵌った作品でした。
これ以降しばらくは推理小説といえば、土屋隆夫の作品一辺倒でした。
土屋隆夫の作品はトリックの面白さにありますが、そのトリックも
突拍子もないような非現実的なものではなく、いつも現実的な要素を持っています。
それは、土屋によれば彼の作品使われるトリックは、彼が作品を書く前に、
実際に可能かどうか現実に試しているからだと言います。

横溝正史ほどの幻想的怪奇的なストーリーではなく、また松本清張ほどの社会派推理小説でもなく、その中間を行く感じで謎解きの倫理性はしっかりしています。
土屋隆夫の推理小説で期待を裏切られた事はありません。
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80年代の初め、英語講師をしていた時にこのペーパーバックを読みました。
漫画好きで、子供の頃はディズニーのアニメとかに興味がありました。それでこの
伝記を英語で読んでみる気になりました。
当時の英語の読解力を考えると、これくらいのペーパーバックを読むのは
ちょっと大変でしたが、好きな人物の伝記だったので、興味をもって読み進むことが
できました。

そして、ディズニーがこれほど有名になり、成功したのは兄のロイの力があったと
知りました。ロイの経済的能力がなくては、ディズニーの名声はなかったように思いました。成功するには才能だけではなく、その人を支えてくれる人たちの力も
大きな要因だと改めて思った私でした。
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これは私が大学生の時に読んだ本だと記憶しています。
北杜夫の旧等学校時代の経験を書いた物で、
昔で言うなら「笑いとペーソス」に満ちた青春記とでも言いましょうか、北杜夫独特のユーモアに溢れた文体で書かれた作品です。
作者と同じ年代の頃に読んだので、感情移入がストレートに出来て
まるで作者と同級生になったような感覚を抱いて読んだものです。
また、この本で描かれる学生生活に憧れたりしました。貧しい戦後の学生生活を書いていますが、物質的には貧しくても精神的には豊かなこの時代の学生がうらやましくも思えました。
実際には物質的に貧しい生活は大変で、それは北杜夫の文章のうまさでしょうね。

この本の中には、北杜夫が当時書いたというセンチメンタルな詩も含まれていて、
それに触発されて私も似たような詩を書いたりしました。

この作品の舞台となる長野県松本市に対する憧れもこの作品で植えつけられました。
この青春記と以前取り上げた「少年」と言う作品はそれほど楽しさに恵まれなかった
私の青春時代を擬似体験として経験させてくれた特別な作品です。
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d0000995_20573492.jpg以前西村京太郎の作品を取り上げた時にちょっと触れたことのある作品です。私は西村作品の中では(今までに読んだ中では)2番目に好きな作品です。(1番はすでに取り上げた「殺しの双曲線」)西村京太郎と言うとどうしてもトラベルミステリー作家と言う印象が強いのですが、初期の頃は彼はいろいろなジャンルに挑戦していてとても興味深い作品があります。

この「四つの終止符」と言う作品も彼のそれまでに書いた作品とは少し毛色の違う作品です。ミステリーではあるのですが、社会問題を痛烈に批判した作品となっていてまた、センチメンタルな感情に弱い日本人にはもってこいの涙を誘うような感動的なストーリ運びにもなっています。
これまで3回ほど映像化されています。第1回目が1965年で「この声なき叫び」というタイトルで若き田村正和が耳の不自由な青年を演じています。2回目は1990年に自主映画的に作られた映画で現実性を出すためにすべて無名の俳優が使われています。そして2001年にはテレビ東京でテレビ化されているようです。2つの映画版はストーリー的には後半原作とは異なる展開の部分があります。特に最初の映画ではストーリー的にも「四つの終止符」と言うタイトルは使えなかったと思います。

社会問題を扱った作品で、その問題とは聾唖者に対する社会の偏見と言うものです。
小さな町工場で働く耳の不自由な青年は母との二人暮し。つつましい生活をしています。病気の母親は寝たきり。そんな彼に心を寄せる女性が現れます。そんな時彼の母親が亡くなります。死因に不自然な点があり調べると、砒素による毒殺だと言うことがわかります。耳の不自由な青年がやっと知り合えた女性との関係に寝たきりの母親が邪魔になり、母親殺しを企てたのだろうと言うことで、しかも状況証拠は彼しかその機会が無い事を示し、疑惑が彼に向かいます。
耳の不自由な人からの調書の難しさとか、聾唖者の置かれたその当時の社会的な状況などが捜査の段階で描かれています。青年は無実を叫びつづけますが、疲れ果て次のような手紙を残し獄中で自殺してしまいます。

「だれも、ぼくを信じてくれません
やっぱりぼくはひとりぼっちでした
ぼくを信じてくれたのは母だけでした
でも、母は死にました
だから、ぼくも死ぬよりしかたがありません
でも、だれも恨みません
ただ、ぼくの耳が聞こえなかったように
みんなにも、ぼくのいうことが、聞こえなかったのだとおもいます」

こうして2つの命が終わり(母と息子)2つの終止符が打たれます。

そしてこの事件の解決までにはあと2つ、つまり四つの死、四つの終止符が必要となります。

小説の中で「目の不自由な人の気持ちは目をつぶればある程度わかるが、耳の不自由な人の気持ちは耳をふさいだだけではわからない」と言うような言葉がありますが、音の無い世界に生きていると言うのも普通の人が思うよりは恐ろしく大変なのでしょう。
ミステリーとして読ませながらも耳の不自由な人たちの現状を読者に突きつけて考えさせる見事な小説だと思いました。
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北杜夫の「幽霊」の事を書いたら、コメントで「楡家の人びと」の話題で盛り上がったので(二人の人ですが・・・・)北杜夫の「楡家の人びと」について書いてみようと思います。

d0000995_16373692.jpg北杜夫の自伝的小説「楡家の人びと」は、彼が心酔し、尊敬したドイツの作家トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」(Die Buddenbrooks)からヒントをえて書かれ,北氏の祖父の時代から自分の世代までをモデルに大正から第2次世界大戦後までの楡家3代を描いた長編小説です。
小説は3部構成になっていて第1部は楡脳病院の創設者楡基一郎を中心に基一郎の死で終わる大正時代が描かれ、第2部は昭和の初めから真珠湾攻撃による第2次世界大戦の始まりまでが描かれ、第3部で戦中、戦後の楡家の人々の様子が描かれます。物語の中心となる人物は北杜夫の母である斎藤輝子をモデルとした楡龍子です。三島由紀夫も絶賛したこの小説はこれまで2回TVドラマ化もされています。

d0000995_16375039.jpgこの小説だけで面白く読めますが、北氏の兄の斎藤茂太氏が便乗でもないでしょうが、同じテーマのエッセイで「精神科医三代」(1971)という本を中央公論の中公新書から出しています。(現在も出版されているかは不明)この本と照らし合わせながら「楡家の人びと」を読むと更に面白さが倍増するような気もします。
この本には古い写真なども挿入されていてとても興味深いです。幾枚かこの本2掲載されている写真を転載してみます。


まずはこのNHK版のドラマのタイトルバックにも使われた楡脳病院のモデルとなった青山脳病院の華麗なる姿。 ヨーロッパのお城か何かのようなつくりです。ヨーロッパ留学をした基一郎のモデルとなった斎藤紀一のヨーロッパかぶれからこんなつくりになってようです。
 
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紀一は自ら「ローマ式建築」と呼んでいたそうです。しかし一度に作られたのでなく、増築を繰り返し作られたため、非常に機能的には不便なところがあったようです。

  
d0000995_16391218.jpgこれが楡基一郎のモデルとなった北杜夫の祖父である斎藤紀一です。明治の人間らしい気骨のある風貌と新しいものすきそうな伊達男と言った感じがしますね。






d0000995_16394683.jpgそしてこれが斎藤家の人びと。
この写真では叔母が4人ですが、小説では聖子、桃子の二人になっています。この写真の清子というのが聖子のモデルでしょうか?米国(よなくに)はそのままの名前が小説でも使われています。叔父に当たる西洋は欧州という名で小説に登場します。真中の赤ん坊が斎藤茂太ということになります。




d0000995_164093.jpg更にもう一冊斎藤茂太には「茂吉の周辺」(毎日新聞社 1973)というエッセイを集めた本があり、これも青山脳病院時代の斎藤茂吉の事などがかかれていて、楡家の人びとのエピソードを髣髴とさせる話なども出てきます。





d0000995_16403952.jpg最後にご存知の方も多いと思いますが、「楡家の人びと」はデニス・キーン(Denis Keene)によって英訳されて講談社インターナショナル社から1984年に第1巻 The House of Nire
として英語版が出版されました。これは「楡家の人びと」の第1部と第2部を英訳したもので、第3部は1985年に The Fall of the House of Nire として出版されました。
友人のアメリカ人はとても面白いと言っていました。また戦争以前や戦争中の日本の姿がわかり興味深かったと言っています。日本に興味のある外国の方にお薦めの1冊ではないでしょうか。
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今日5月1日は北杜夫の誕生日ですね。彼も今年ではや79歳とは言うものの、兄の斎藤茂太氏は90歳でまだご存命なので長命の家系でしょうか?

d0000995_16592312.jpgさてこの処女長編小説「幽霊」は北杜夫が23歳の時に書き始めた作品と言うことです。「幽霊」という題名ですがホラー小説ではありません。「或る幼年と青春の物語」と副題があるように主人公「僕」の幼年期と旧制高校生時代の事をみずみずしい文体で書いた追想記です。著者が初期の集大成と呼んでいるように、「幽霊」以前あるいは同時期に書かれた短編などが一部この「幽霊」に使われています。初期の短編集「牧神の午後」の中の「狂詩」の一部が使われていたり、後半の旧制高校生時代の部分は「少年」の書き直しのようです。
有名な「どくとるマンボウ」シリーズとは全く異なる純文学の作品の中でその初々しい作風から私は北作品の中で一番好きな作品です。

「人はなぜ追憶を語るのだろうか。
どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。」

と言う名句で始まるこの作品、さすが斎藤茂吉の息子だと言うくらい洗練された文章で始まります。

この作品は4部作として書く予定だったようです。しかし「幽霊」の初版から21年経った1975年に続編として発行された「木精(こだま)ー或る青年期と追想の物語」以降続編は書かれていないようです。作者としてはこの「木精」で完結させているようにも思えます。

d0000995_16594565.jpg確認のために「木精」の本を開けてみたらこんな本の発売当時の新聞広告の切抜きが挟んでありました。待望の本だったので広告までこうして記念に取っておいたのですね。すっかり忘れていました。加賀乙彦氏の批評も切り抜いてありました。
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d0000995_17354499.jpg  日本で女医と言うとまず頭に浮べるのが「オランダおいね」と呼ばれたシーボルトの娘 イネ の事ではないでしょうか。「日本最初の女医」とか言われたりすることもあります。しかし正式な日本初の女医、つまり政府から医師の免許を取得して医師として開業し医療を施していたのはオランダおいねではありません。

荻野吟子が正式な日本第1号の女医と言うことになります。しかし日本第1号と言う冠がありながらこの荻野吟子と言う人についてはあまり知られていませんし、日本の歴史の教科書でもふれられる事は余りありません。医師として働いていた作家渡辺淳一はこの事に疑問を持ち荻野吟子の事を調べだしたと言うことです。そしてやがて書かれたのが荻野吟子を主人公とした伝記小説「花埋み」です。

出版当時ベストセラーになった作品だと思います。1971年にNETの「ポーラ名作劇場」でTVドラマ化されています。吟子役を演じたのは大空真弓でした。これ以前、実は私は妹が買ってきた少女雑誌に掲載された漫画版を読んでいました。はっきりした記憶ではないのですが、この漫画版がきっかけで小説を読んだのだと思います。そしてテレビドラマも見ましたが、小説の面白さをどちらも充分には表現できていなかったと思いました。

d0000995_1736069.jpg簡単なあらすじを紹介すると
吟子は18歳で結婚をします。しかし遊び好きの夫から淋病をうつされ、子供が出来ない体となり離縁されてしまいます。淋病に苦しみながら治療を受けていたとき、男の医師に女性の大事な部分を診察されることに恥ずかしさを感じた吟子は医師が女性であれば精神的に楽だったと思い、女医になろうと決心します。しかし明治の男性優位の時代に女性が医学を学ぶと言うのはほとんど不可能に近いことでした。しかし数々の障害を乗り越え、彼女は正式な女医第1号となります。ある意味野口英世に匹敵するような人と言う感じで、偉人伝に出てきそうなくらいの努力を成し遂げた人なのに歴史の中に埋もれてしまいます。

事実を元にしていますが「伝記小説」と呼ばれている作品なので実際の事実とどれくらい近いものかはわかりませんが、事実に近いとすれば私は吟子の勉学に対する執念には驚かされました。エンターテーメント性のある中間小説として読むのをやめるのが難しくなるくらいどんどん読み進みたくなるような面白い小説だったと記憶しています。
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d0000995_1657863.jpg1969年、少女週刊誌マーガレットにあるミステリー漫画が連載されました。
姉が読んでいたその雑誌で偶然目にしたその漫画のストーリに惹かれ、姉が毎号買ってくるのを楽しみにしていました。最終回近くの雑誌を姉は買わなかったので、結局私はその話がどのような結末になったのかわかりませんでした。

その漫画というのは丘けいこの「わたしはだれ?」という漫画です。丘けいこにとってはマイナーな作品だったのでしょうか、あまり知られていないようです。しかし私にはとても強い印象を与え、丘けいこというと「わたしはだれ?」が一番最初に思い浮かぶほどです。
漫画が連載中は「原作だれそれ」とかは書いてなかったので私は丘けいこのオリジナル作品だと思っていましたが、後にこの漫画は実は「シンデレラの罠」という推理小説を元に描かれたものだと知りました。
漫画では結末を読む事が出来ず、どのような結末になるのかわからなかったので、ぜひ原作を読んでみたいとその頃から思っていましたが、今のように簡単に本を検索したりすることが出来ない時代。本屋でその本を見かけることは無く、しだいに記憶からは消えていきました。しかし大学生の頃、偶然書店でこの文庫本を見つけました。そのときの喜び様は無かったと思います。これでやっと結末がわかると思いました。

d0000995_1637969.jpg作者はセバスチャン・ジャプリゾ (Sebastien Japrisot)というフランスの作家でした。ごらんのようにこの文庫本のカバーはこの小説の映画版の写真が使われていて、私は本を読んだあとは映画版にも興味を持ちましたが、テレビで放映されることも無く、映画についての情報も得られず、いまだ見たこともありません。インタネットでこの映画を検索したところによると1965年にフランスで製作され、日本では1968年に東和が配給し公開されたようです。ビデオ化もされていないようで現状ではこの映画を見ることは不可能なようです。丘けいこの漫画が1969年に発表されたということは彼女は多分この映画を見て、作品にすることにしたのでしょうね。

さて、推理小説「シンデレラの罠」の面白さはその発想でしょう。
この小説の宣伝文として次のような謳い文句がフランスでは使われたと言います。

『私がこれから物語る事件は巧妙に仕組まれた殺人事件です。
私はその事件で探偵です。
また証人です。 
また被害者です。
そのうえ犯人なのです。
私はその4人の全部なのです。
いったい私は何者でしょう。』

どうです?推理小説の読者を誘惑する文でしょう。
一人の主人公が一人四役を演ずるとはどういうことなのか?
こういう設定が可能であるのか?
その設定を可能にしたこの作家の腕がこの小説で堪能できるでしょう。

推理小説なのであえて内容についてはあまりふれないようにしました。興味のある人は読んでみて下さい。なお、現在創元推理文庫から出ている文庫版のカバーがページの一番上にあるものです。
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d0000995_12475846.jpg  この本をどのように知り、読んだかは記憶がさだかでない。
またこの本の内容も現在ではほとんど覚えていない。しかし、この本により
私は高井有一と言う作家のファンになった。
 
  意図的に彼はほとんどの小説を旧仮名使いで書いている。
それが彼の作風と会っていて、とてもいい雰囲気をかもし出したいる。
この作品は戦後間もない頃を舞台にして書いてあり、旧仮名遣いの文字により
時代を感じさせる役割もしている。
  彼の作品は特にドラマチックなことが起こる話ではない。しかし、読んでいると
透明な水が静かに流れている小川をじっと見つめているような、穏やかな気持ちに
させてくれる何かがあるように感じた。

  後に彼のほかの作品を文庫本で読んだことがある。しかし文庫本にするにあたり
現代の読者のために現代仮名使いに直されていて、読んでいて高井有一らしさを
感じられなかった。
彼は旧仮名使いの美しさを伝える最後の作家なのかもしれない。

  高井はこの作品について「後記」で次のように書いています。

「この小説で私は、時代の影の部分、目立たぬ場所に生きた人たちに託して、
私の昭和20年代に一つの形を与へてみたいと考へた。それは眠つてゐる過去を
眼醒めさせ、陽に曝して、現在の自分の生の意味を問ふ作業でもあつたやうな気がする。
そして、長い時間をかけて書き終わつた今も、小説の人物たちの声が、私の耳元に消えない。」
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