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Tim

英語の集まりのデニーズクラブの方が是非紹介したい人がいると言われていて、本日会うことになってました。その人はアメリカ人で写真家でもあるということでした。芸術家としては同じような考え方をしているようなので気が合うかもしれないと言われて私も会う気になりました。

お昼まで彼の英語のクラスが市の公民館で行われそのあと時間があるというのでクラスが終わったころ彼に会うために公民館に伺いました。

ティムはロサンゼルスの出身で日本に来て6年ほどだということでした。今は日本人と結婚して英語の先生をする傍ら写真を撮っているとのこと。
彼の写真は何気ない風景を変わった視点でとらえている写真でなかなか面白い作品がありました。もしかしたら私より若いかもしれないと思っていたのですが、歳を聞いて驚きました。外人って老けて見えることが多いのですが、彼の場合痩せている体型で40代後半の年齢かと想像していましたが、なんと62歳だということでした。

とにかく楽しい昼下がりを彼と過ごせました。
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北杜夫の単行本歌集「寂光」を手にして驚きました。
本の見返しに北杜夫が描いたペン画使われていたのです。それもなかなかの腕前。私もこんな風にペン画が
描けたら良いな~と思いました。
そしてその本のカバーにも花の絵があったのですが、それも北杜夫自身の作品だと知り驚きました。
こういった装丁の才能もあったんですね。
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読書に目覚めた高校生時代、私は世界文学を読み漁ってました。しかし、日本文学にはどうも興味がわかず、また日本の作家は芥川龍之介や太宰治のように自殺する人たちという破滅的な雰囲気があり、どうも苦手でした。

そんな私が気の進まないまま、面白いと噂されていた北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」を読む羽目になりました。そしてびっくり、日本文学のイメージが180度変わりました。私はこの本で初めて声を上げて笑いました。いままで、本を読んで笑うなんていうことは全く考えられませんでした。この本で私は日本文学の考え方が変わり、またこの北杜夫という作家を好きになりました。次に読んだ「どくとるマンボウ青春記」は自分の年頃とも重なり、さらに北杜夫にのめり込んで行きました。松本市は私にとって聖地となり、大学も松本およびその近辺の大学に行こうかとさえ真剣に考えました。

そうして「どくとるマンボウ」シリーズだけでなく、「夜と霧の隅で」や「幽霊」と言う純文学作品にも触れ、これらの作品にも感動し、ますます好きになり、ほとんど北杜夫の書いた本は全部と言って良いほど買い集め読んだ物です。
果ては北杜夫が好きだと言うので、トーマス・マンの作品まで読み出す始末でした。「楡家の人びと」のモデルとされるマンの「ブッテンブローク家の人々」まで読みました。

その北杜夫もついにこの世を24日に去って行きました。昔ほどの強い気持ちで彼の作品に傾倒しては居ないのですが、私の青春時代で一番好きだった作家でした。
ご冥福を祈ります。
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1昨日、ニューヨークに住む友人の知人からメールが届きました。

それは友人が亡くなったと言う知らせでした。
メールによると彼は9月1日に亡くなったと言うことでした。

私はその日にちに不思議な胸騒ぎを覚えました。

実はハリケーンアイリーンがニューヨーク地方に向かっていたので、心配して大丈夫かと友人にメールを
送ったのですが、返事がなくどうしたのだろうと思っていたのです。どこかへ避難しているのかと思いました。
そして、8月31日、彼からメールが届きました。ハリケーンはニューヨークには大した被害はもたらさなかったと言う内容で、あとは最近は孤独で、生きる気力がなくなったということが書いてあったのです。

3年ほど前に長年連れ添った伴侶に先立たれてから、淋しい一人暮らしをしていたようです。

私はもしかしてと思い、友人にメールで彼の死について尋ねました。

そして今日彼のメールが届きました。
「Yは自らの命を絶ちました。」という答えでした。

死んだと言う知らせより、この自殺だったという知らせに私は大きなショックを受けました。およそ自殺とは程遠いところに居ると思っていた人だけにショックでした。
それに多分死ぬ前にあの私へのメールを送ってきたのに、私はすぐには返信しなかったことを後悔しました。
読み返すと、彼が死を覚悟した内容だと読み取れます。しかし、自ら命を絶つとはとても思えませんでした。
それだけ彼の孤独は深いものだったのでしょうね。
ただ彼の今は冥福を祈るだけです。
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ちょっと前になりますが、お世話になった事のあるプリンターの方から、Eメールを頂き、こう言う人から私の事や、作品について知りたいと言う問い合わせが、アメリカからあったと言うのです。もちろん彼はこの人の事は知りません。たぶん彼のHPを検索で探し当て尋ねたのでしょう。
プリンターの方はその人のメールを添付して送って来ました。
それはこんな感じのメールでした。

「私はボストンのギャラリーで買った、Marrrsanのリトグラフ「日本の思い出」について知りたいのですが
ご存知でしょうか。とても気に入っている作品です。」

と言うのです。
Merleというのは男性にも女性にも使われる名前で、果たしてどちらなんだろうと思いました。とにかくその転送された手紙にはその人のメールアドレスが書いてあったので、そのリトグラフを描いた経緯を書いてその人にメールを送りました。

しばらくして、その人から返事がありました。私はボストンのギャラリーで作品を買ったと言うので、ボストン近郊の人かと思っていたら、カリフォルニアの州都サクラメントに在住している人でした。その人は作品をとても気に入っているとの事。実際に日本にも1976年から1993年まで住んでいたとの事。そしてこの近くに来る事があれば寄ってくださいと返事をくれ、住所までしっかり書いて寄越しました。でもこの手紙でもこの人の性別はわからず、本人に聞くのもはばかれました。

しばらくして、ふとこの人の姓は変わった名前で、もしかしたらグーグルで検索したら出て来るかも知れないと
思い検索してみました。
すると、でてきました。たしかにサクラメントのMerleさんが。
こう言う感じの方でした。
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男性だったのですね。
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ニュースを見て吃驚でした。
おさむさんがなくなったとの事。それも先月の末6月28日に亡くなっていたと言う事です。
またひとり良い人が去って行きました。







という話ですが、古い読者と本人はこのタイトルに驚いたかもしれませんね。


ここでいう「おさむ」さんはブログの「ちょっとシニアチック」のおさむさん事ことさむさんとは別人です。





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声優の小林修さんのことです。子供の頃よくアニメや外国映画の吹き替えで彼の声は良く聞いていました。
ユル・ブリンナー役を主にやっていました。アニメでは「黄金バット」の声なども。
でも私が一番印象深く、真っ先に思い出すのはやはり

スパイ大作戦でのピーター・ルーパスの声を当てていたことです。
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スパイ大作戦では声優も主役級の人をレギュラーには振り当てていました。そして小林修さんはウィリー役の
ルーパスだったのですが、この俳優さんは怪力の持ち主と言う役で、しかももともとは役者でなく重量挙げの選手だったとか言う事で台詞の少ない役で、小林修さんがやるにはホントもったいない役でした。

とにかくご冥福を祈ります。
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銀行に用事があっていったときのこと。
こちらに来て初めての銀行なので、いろいろ聞きたくて行った銀行ですが、対応に出てきた人は
若い女性の銀行員。すっきりとした顔立ち、長い髪のきれいなアジア系のような顔立ちをした人でした。
自己紹介で名前を言ってくれたのですが、よく聞き取れず「ハネーコウ」という風に聞こえました。
変わった名前だなと思っていました。
私が日本人だと知ると、彼女は父親はフィリピン人で、彼はある時日本人の女の子の名前を聞いて
その響きが美しいので女の子が生まれたらその名前をつけようと思っていたそうです。そして彼女が
生まれて、「ハナコ」と名づけたそうです。そう、「ハネーコウ」と聞こえたのは実は「ハナコ」だったのです。
確認のために彼女の胸についている名札をみると確かにHanakoとなっていました。
日系人なら別に珍しくもないんですが、フィリピン系で日本の名前のハナコというのは珍しくて
へえ~と思ってしましました。
これからいろいろとハナコさんにお世話になります。
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11月3日は文化の日。
この日はもともとは明治天皇の誕生日だったそうですね。
そして、私がアメリカでお世話になっている人の誕生日でもあるわけです。
ま、とにかくHappy Birthday!
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ギャラリーオーナーのキャロルの高校時代の親友が私に会いたいという連絡を受けました。
キャロルによると彼女は日本語がぺらぺらのアメリカ人で、以前日本人と結婚して、日本に住んでいたという。
私もそんな彼女に興味を持ったので会うことにしました。

約束の時間にギャラリーに行くと、キャロルはすっかり約束を度忘れしていて、ギャラリーにはいませんでした。彼女の友人に会うのだから別にキャロルがいなくてもいいわけですが。
約束の時間になると、友人が現れました。

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初めて会う人には少し緊張するタイプなのですが、彼女は最初からとても親しみやすい人でした。話し出したら話が止まらないようで、こちらが質問する時間も与えられずに次から次へと話題がでてきました。ちょっと聞き取りにくい発音もありましたが、まあ、問題ない日本語でした。ただ、時々「~なんだよ~」とかちょっと品のない言い回しがでてきました。
でも大の日本好きで、前世は日本人だったに違いないと思っているそうです。浅草に行ったときにあの下町の雰囲気を感じた時「あ~、私はやっと故郷に帰ってこれた」と感じたそうです。

名刺に「彩庵」と日本語のロゴが付いていました。アメリカの名前がThianなので彩庵という漢字をあてたそうです。
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今年度から「アメリカン アイドル」の審査員として新たに加わったのが、エレン・デジェネレスです。
日本では知名度はそれほどないと思いますが、アメリカではエミー賞の司会をしたりと活躍している人です。
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私が初めて彼女を知ったのはもう20年近く前になります。
まだFOXネットワークができて間もないころ、FOXでシュチュエーションコメディのOPEN HOUSEという番組がありました。それにレギュラーとして抜擢されたのです。ニューオーリンズの新聞ではちょっと話題になりました。なぜかというと彼女はメタリーというニューオーリンズの隣町出身のコメディアンだったからです。そんなわけで私もその番組をちょこっと見ていました。ただ、あまり彼女をうまく使ってはいなくて、あまり引き立っていませんでした。これで彼女の将来は終わりかと思っていたら、なんとABCが彼女が主演のコメディ番組を制作したのです。これは成功して100話近くのエピソードが作られました。ただ内容的には出来が悪く、第1シーズンが終わり第2シーズンになると番組のタイトルもキャラクターの設定も変わりました。ほとんど別番組と言ってもいいですね。この番組のグラウンドブレーキングなところは、エレンの演じているキャラクターがレズビアンだとカミングアウトして、実は演じているエレン自身も実はレズビアンだとカミングアウトしたことでした。コメディだったのでそういう役と言うだけで、特にロマンスとかのストーリー展開はなかったと思います。
カミングアウトしたことでABCとの関係がぎくしゃくして、上手くいかなくなって番組はそのあとしばらくしてキャンセルされました。これで、彼女のキャリアも終わりかと思われましたが、愛される性格なのですね、その後失敗した番組もありましたが、今や自分のトークショー番組を持って人気があります。
ニューオーリンズ近辺の出身と言うこともあって、密かに応援しています。

怖くない、あっあっあっ、怖くない あなたとだったら何度も押せる~  山口百恵「禁じられた遊び」バージョン
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