カテゴリ:・青春の恥( 3 )

ちょっと驚きました。もう4年も経とうとしているのですね。
何のことかと言うと、このブログに「青春の恥」というカテゴリーがあるのですが、ここでは昔、私が20代の初めの頃に書いていた「詩」のような雑文を載せていました。しかし、やはり恥ずかしくて、2つほど載せただけで
このカテゴリーは止まっていました。
ちょっとした切っ掛けがあり、再び読み返してみるとそう悪くもないかと思えるものもあり、ブログの話題にも困り、また恥をさらしてみようかと思いました。

当時の私の詩の書き方と言うのは、ちょっと変わっていてまずその日の気持ちや気分を表す言葉、気にかかった言葉を使って題名を決め、そして詩を書いていくと言うものでした。どんな展開になるか、まとまりがつくかわからないままに綴られて行きました。大して推敲もせず、行き当たりばったりで言葉と表現をつなげていくものでした。そのため支離滅裂になることもありましたが、不思議とうまくまとまることが多々ありました。

さて、ここに紹介する詩は私が21歳の時に書いたものです。


          星のある夜空 

あの憂鬱が再び私に襲って来ようとも
もう恐れることはないと思うのです
今の私は昔の私より強くなったわけではないけれど
私は私で少しも変わってはいないのだけれど
苦悩には少しばかり堪えられるようになりました
失望と希望は波のうねりのように
交互に私の精神の中でさかまいています

胸躍るような歓喜も訪れるだろうと確信できるけれど
そのすぐそばに冥い身の毛もよだつ悲しみが
私にはくっきりと、見えて仕方ないのです
そうですどんな不幸の近くにも輝く光が煌いているのです

病んだ私の神経は虚無の世界へと私を誘うけれど
私はその中に呑み込まれてしまいたいけれど
その時「生」は美しくさえわたり私を魅惑します
生きることに理由も価値もないことは知っています
それでも人は「生」を全うしようと自ら苦汁をあおって
何事かその手につかもうと空しくのたうちまわります
愚かな私はそれらの人々と同じような曖昧な生活に
のめり込んで行こうとします そして 愚かなことに
人世は勝利を与えるもののようでなのです

寝しずまった人の気配のとだえた闇の中に
私はいつまでもいつまでも目覚めたまま遠い宇宙の彼方で
運行しつづける星たちのかすかなまたたきを見るとき
ちっぽけすぎる人間のはかなさと時の偉大さに圧倒されて
大きく拡散した私の心はなんとかなる もう少し生きようと
私に囁きかけてくるのです
そしてその囁きこそが私の存在の糧なのです

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秋の日

私の身体は生きているのだけれど
私の心は死んでいる

秋のなまめかしい青空は
執拗なほどに
小さな私を寂寞とさせる

疲れた旅人のように
まろやかな光の中で
足をひきずるように歩く私は
墓場にともる
青白い鬼火

故知れぬ疲労と断腸は
私の全存在を空虚にし
蒼茫とした大洋に漂う小船のように
不安と焦燥の中で
必死に澪標(みおつくし)を探し求める私は
朽ち果てた老木

ひややかな風が
秋の訪れを告げながら
私の身体を吹きぬけた時
私の心を鎌鼬(かまいたち)が襲い
私の心臓は張り裂け
どす黒い絶望の血液が流れ出す

1973年 9月20日 作
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昔、主に大学時代日記のように毎日詩あるいは詩もどきのものを書いていました。
今読むと非常に恥ずかしいものばかり。
根暗だった当時、絶望とか苦悩とかそういうことを言っているものが多いようです。

高校の国語に出ていた西脇順三郎のシュールリアリズムの詩にひかれ、それを周到したような
詩を書くのが好きでした。また、わざと古い仮名遣いを使うということも良くやりました。
非常に恥ずかしいのですが、おもいきってブログに載せてみようかと
大それた大胆なこと決心。恥ずかしさのあまりあるいは反響のなさにすぐ削除するかもしれませんが、「青春の恥」というカテゴリーで私が20代前半に書いた文を載せてみようと思います。
まず最初はちょっとは自分でも自己満足でこれならと思うものを。
そんなもん読みたくないという人はここで終わりにしてください。

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