カテゴリ:・私的周辺雑記( 1435 )

二期会のオペラを見に新宿の新国立劇場へ行ってきました。
エントランスホールのあたりの風景が下の写真。
とてもゴージャスな感じで良いでしょう。サイドにはオペラの衣装なども飾ってあります。
このように見た目はよろしいのですが、パリやーフリーでなく階段だらけでお年寄りにはとても不親切な建物。エレベーターもあることにはあるのですが、不便です。例えばわれわれは最上階の4階席だったのですが、建物向かって左側にしかエレベーターは無く、右側の席の私たちは迷路のようなホールを抜け反対側に。さて、トイレはと見ると細かい階段を1階足でくだらなければなりません。迷路のようなホールを反対側に戻り、エレベーターで1階降りてトイレというのも非常に面倒ですよね。足の悪い人にはこの1階の上り下りも大変です。階段は見た目にはいいのですが、お年寄りには大変です。老人大国になろうという日本、階段は少なめにしてほしいですね。
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ニュースでなんだかんだ騒がれていたわりにはたいした被害も起こさず去っていった台風7号。
このあたりでも、せいぜい川がこのように増水して濁って流れている様子を見て、台風があったということを感じる程度のものでした。
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涼しい気持ちのいい朝だったので久し振りに犬を連れて近所を散歩。散歩がてらに回りの景色を撮ってみましたこんな田舎に今は居ます。

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                                      この道祖神は知人が彫りました。

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とうもろこしが伸びています。

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左は桑畑。最近は養蚕をする人もあまり居ません。


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野生の朝顔(?)がポツンと咲いていました。
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日記に書きましたが、昨日はNSPの天野滋さんが52歳という若さで亡くなったという事を知り、
今日は偶然何処かのサイトで漫画家の永嶋慎二さんがつい最近お亡くなりになった
というニュースを知りました。
 
永嶋さんは「フーテン」という漫画で知られています。自伝的要素のある漫画で
そういうタイプの漫画を描く先駆け的な人ではないでしょうか。
しかし最も知られているのは漫画版の「柔道一直線」ではないでしょうか。
永嶋さんの生き方からするとスポ根漫画というのは一番彼の漫画家としての
スタンスからはかけ離れているようで、わたしはちょっと違和感を感じましたが
反面、これによって彼が漫画家として有名になっていければ良いなとは
思ってもいました。 

一緒に育ってきた世代、あるいはそのちょっと上の世代の人たちの訃報を
よく耳にするに様になり、われわれも年をとってきて周りの人が一人、二人と
亡くなって行くのを目撃する世代になったのかなとふと思いました。

昔は長生きをしたいという願望が強くありましたが、
知っている人たちが回りから消えていき、取り残されたように老いた身体で
生きていくのはどんな感じなのでしょうか?
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昔 養蚕に使っていたバラックと呼ばれる小屋が実家には3つありました。そのひとつは今はガレージとして使われていて、その他のバラックはほとんどが物置小屋となっています。ガレージの隣の小屋は農作業用の道具や肥料の置き場となっています。数年前までここにもう、使われなくなった耕耘機が荷台と共に放置してありました。

この耕耘機を引き取ってもらうことになり、荷台に積まれた物等を整理したいた時、キャンバス地の埃まみれの汚らしいバッグが荷台と運転席を分けるフレームの所にかかっていたのを見つけました。いつもそこにかかっていた訳で見つけたというのは変ですが、そのときまでほとんど気にも留めずに見ていたので、目に入っていながら意識に留まることは無かったのです。

d0000995_16432373.jpgあまりに汚いバッグだったので、私はそれをフレームからはずし、捨てようと思いました。そのとき肩にかける紐のところに名前が書いてあるのを発見しました。かなり色あせていましたが、まだ読めました。
それは亡き父の結婚前の名前でした。(父は婿養子でした。)そして住所も書いてありましたが、それはなんと父の実家の住所でした。しかもそこに書かれていた村の名前は戦後無くなり今は市となっているのでした。つまりこれは戦前のバッグ?

そう思ってみると、どこか兵隊が持っていたようなバッグのような感じもしました。
父は自分の持ち物として戦争に行ったこのバッグを大事に取っておいたのでしょうか。不思議なのは実際に父がこのバッグを使っていたという記憶はなく、このバッグをしみじみ見たのはその時が初めての気がしました。
捨てることなく父が大事に取っておいたこのバッグは、彼にとっては何か相当の思い入れでもあったのでしょうか?

捨てようと思っていたバッグでしたが、父が大事に持っていたこのバッグをわたしが引き継いで持っていようと思い、きれいに洗いました。たぶん使うことは無いでしょうが、このバッグを持っていると若いときの父といるような不思議な気がします。
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  今世間を騒がしている「ピアノ・マン」。
「彼がずぶぬれの姿でイギリスの海岸で発見され、記憶を喪失していて身元が分からない」というヘッドラインを聞いたとき、私の頭に浮かんだのは「アナスターシャ」の話です。日本ではあまり知られていない話なのでしょうか。わたしも「アナスターシャ」の話を知ったのはエーミイ・アービングが主演したTV映画がきっかけでした。実はもっと以前にイングリッド・バーグマン、ユル・ブリンナーで映画化されていました。日本題では「追憶」というそうです。しかしこの映画はほとんどフィクションです。それに対しTV映画はかなり事実に基ずいてアナスターシャの話を描いています。
  
 d0000995_23375463.jpg アナスターシャは帝政ロシア最後の皇帝ニコライ・ロマノフ2世の娘でした。ロマノフ一家は革命軍によって一家全員が殺害されました。死体は埋められ、混乱の中それがどこに埋められたかは忘れ去られました。
  その事件から1年後ほどしてドイツのベルリンででひとりの若い娘が橋から身を投げて自殺を図るという事件がおきました。幸い彼女は目撃者により助けられて、命は取り留めました。しかし、彼女は記憶を失っていて自分が誰だかわからなかったのです。そして、彼女の身元を知るものもでてきませんでした。
 
  ところがしばらくして、彼女は突然自分はロシア皇帝ニコライ・ロマノフの娘のアナスターシャだと言い出したのです。ロマノフ一家は惨殺されたということは知られていたので最初は彼女の言うことを信ずるものはいませんでした。しかし彼女はかなりロマノフ家のことに詳しい情報を知っていて、あることに関してはアナスターシャでなければ知らないであろうということも話したりしたのでした。やがて真偽を調べるためにロマノフ家で働いていた人たちがこのアナスターシャと名乗る娘に面会に来ました。ある人たちはその娘がアナスターシャに間違いないと証言しましたが、ある人は偽者だと証言。結局決着はつきませんでした。
   
  その後いろいろあり、イギリス皇室とロマノフ家は血縁関係があり、イギリスのロマノフ家に近い親族がこのアナスターシャと面会し、最終判断として彼女はアナスターシャではないと結論を出しました。しかしこの娘はアナスターシャであるということを主張しつづけました。ロイヤルファミリーの無いアメリカではかなり歓迎されたこともあり、彼女はアメリカに渡り、そこで大学教授と結婚し、アンナ・アンダーソンとなり、アメリカ、バージニア州で亡くなりました。彼女は最後まで自分がアナスターシャであると主張しつづけていたそうです。
  
  彼女の遺体は火葬されたためDNAによる検査は不可能となり、彼女が本当のアナスターシャかどうかの決定は永遠に謎のままになると思われていました。
  
  そんな時ロシアでロマノフ一家の死体が発見されるという事態も発生しました。これでアナスターシャの謎も解けると思っていたところ、白骨化した遺体の中にはアナスターシャにあたる白骨が発見されませんでした。これによってあのアナスターシャを名乗る女性の信憑性が出てきました。
 
  それから数年後、アンナ・アンダーソン(アメリカでの名前)の髪の毛か歯かが発見されました。これによりはじめてDNAの検査が可能となりました。これでやっとアンナ・アンダーソンがアナスターシャ・ロマノフかどうかが決定できることになったのでした。
  
  そして、、、
結果を知りたい方は下の「アンナ・アンダーソンの秘密」をクリック。ミステリーのままで終わりたい方はココでおやめください。

アンナ・アンダーソンの秘密
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それまでそういう事をしたことはなかったのですが、何の風の吹き回しか
私が小学校5年か6年の時、好きだった漫画家の手塚治虫に年賀状を
出しました。ファンレターのようなもので、有名人でファンも多い手塚治虫のこと
まず返事をもらえるなんてことは期待はしていませんでした。読んでもらえさえ
すれば嬉しいと思っていました。

さて年賀状を出したことさえ忘れ去った、1月の下旬、
手塚治虫から年賀状の返事のはがきが届きました。      
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ご覧のようにはがきの裏は印刷されたものです。それでも返事が届いたという
事は手塚治虫が私の年賀状を読んだ、しかも返事までくれたと思うともうファンとしては天にも上る気持ちでした。裏は印刷でも表のこの宛名書きは手塚治虫本人が書いたものでは
と思うと嬉しくもあったのですが、
半面忙しい手塚のことたぶんアシスタントが書いたものかと疑う気持ちも。

手塚治虫の筆跡を調べたことないので現在まで、この宛名が手塚治虫によって
書かれたものかどうかはわかっていません。
 
20代半ば頃、高田馬場にある手塚プロのあるビルの近くで本人を見かけたことがありました。
トレードマークのあのベレーを被っていました。
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d0000995_757698.jpg   中学生の頃までマンガ家になるというのがずうっと夢でした。 「冒険王」とか「漫画王」を出していた秋田書店が石森章太郎(後に石ノ森章太郎)による「マンガ家入門」という本を出版した時、絶対これを買い、漫画家になる方法を知ろうと思っていたのですが、田舎住まいゆえこの本を置いておく本屋などはなかった。しかしあるとき従兄弟の住む市へ行ったときそこの本屋さんに入ったとき偶然見つけ、もう大喜びで買いました。
  石森がこの本を書いたのは27歳という若さだったのですが、十代からプロとして活躍していた彼のことかなりよく書かれた本で、子供向けの本ではありますが今読んでも感心するほどよく書かれています。
  彼がどのようにして漫画家になったかとう経験談から、ギャク漫画、ストーリー漫画の書き方を自分の作品を例に詳しく説明がなされとても参考になります。
ストーリー漫画の例として彼の「竜神沼」という作品が取り上げられていますが、如何にいろいろなテクニックが使われているかを知り感心します。映画ファンだった彼は映画的な画面の構成などを使用しています。このような細かい計算が漫画の制作に使われていると知り驚いたものです。
  漫画家になりたい人でなくてもこの本を読むことにより、漫画の制作過程がよくわかりためになるいい本だと思います。この本は成功したのでしょう、「続・マンガ家入門」も出版されました。

新入門百科
「マンが家入門」 石森章太郎  秋田書店   1965 初版
 
  
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桜に間に合うように帰国できるかと思っていましたが、
日ごろから心がけのよい私のこと、大丈夫でした。
今が丁度見ごろというくらいの満開の桜です。
これは実家の隣の土地に咲く桜です。
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日記にも書いたのですが、本当に今日は
不運が続いて、この忙しいときに時間を
かなり無駄にしてしまいました。

不運が不運を呼ぶのでしょうかね。
それとも不運で焦り、自ら失敗が続き
次から次へと不運が起こるのか
ただそう感じるだけなのでしょうか。

でも幸い、とんでもない不運というのでもないので
それほど嘆くこともないのですが
予想外の負の出来事が続いて起こると
苛立ちを覚えます。
こういうときは何もせず
じっとしているのがいいのでしょうね。

不運続きのあとアパートに帰り
メールを開くと昨日友人に出したメールの返信が
届いていました。

ちょっとしたいい知らせでした。
これで不運の呪縛から解けたような気分。
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