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ロンパリ吝嗇訪問気  J の戦い (上)

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← J の手の一部です。


訪問記からはちょっと話がそれてしまうのですが、後で起こる事の伏線として J の事を少し詳しく説明した方が良いのかと思いました。またボランティアの本当の理由もあかしておこうと思います。ちょっと長くなりますが書いておこうと思います。なお、プライバシーの関係で一部設定の変更がしてあります。・・・でも当人が読んだら判りそうだな~。

J は会社で募った早期退職者希望者に応えて定年より早く会社を退職しました。そのため普通よりは多い退職金をもらったようです。また相続で大金がはいり、そして独り者だったので、かなりの貯金があり、ほとんど退職後は金に困らない裕福な環境にありました。
そんな J はなんと語学留学をすることを決めました。熟年で一人海外へ行くという精神には私も感心したものです。知人の娘がロンドンに留学しているということで、ロンドンに留学場所を決めました。いたくロンドンが気に入り、移住して余生を過ごしたいとまで思うようになりました。

何年か学生として滞在していましたが、そろそろ学生ではいられなくなりました。ビザが切れる頃パリに行き戻ってきて半年延ばし、色々作を練りました。そしてイギリスには引退者用のビザがあることを突き止めました。早速 J は通訳と弁護士を雇い引退者のビザ取得の準備を始めました。ここで J の思い込んだら止められない性格が出てしまいました。
この引退者用のビザの申請は申請者の本国で行うものなのです。つまり J は日本に帰国してイギリス大使館に書類を申請しなくてはならないのです。弁護士もその辺のところをしっかり説明したのに、聞く耳持たない J は日本に帰りたくないので、何とかイギリスで申請してくれと頼み込んだのです。執拗な J の依頼に無理とは知っていながら弁護士は J を満足させるために申請を提出してしまいました。当然の事ながら書類は拒否されて戻って来ました。その時点でまだ3,4ヶ月滞在できるビザがあったのでその間に再申請をしようと思っていました。さてどんな策略でと考えあぐねていた時 J はあるとき日本人の知り合いに相談してみました。するとその人が言うには、ビザを拒否されるとその拒否の日付から20日以内にイギリスを出国しなくてはならないというのです。慌てた J は調べてみると後3日でその20日目になるのでした。これは大変不法滞在になってしまうと、慌てて帰国の飛行機を手配し、新たな申請書や必要書類をを弁護士からもらい、(日本から申請すれば必ず通ると太鼓判を押された)とにかく急いで日本に帰ってきました。

帰国するとすぐに J は意気揚揚と申請書を持って英国大使館に面接に出かけました。長く滞在したわりには流暢でない英語で面接を受けました。ここで、 J は大失敗をしでかしてしまいました。まずは質問が良く理解できなくて事実とは違う答えを言ったりして、だんだん答えが辻褄が合わなくなってきたのです。ビザ審査官は J の態度や答えに疑問を持ち、何かを隠すために質問の答えを避けているような印象を受けてしまったようです。
そして質問が進むほど、ますます誤解を招くような受け答えをしていきました。
こうして審査官は引退者用のビザを拒否するしかありませんでした
イギリスの弁護士が太鼓判を押してくれたのに、ビザを拒否された J は困惑しました。
審査官はビザが拒否されたので、観光でも学生としてももう2度とイギリスにはいけないだろうと言ったそうです。イギリスの弁護士が太鼓判を押してくれたのに、ビザを拒否された J は困惑しました。しかも、もう再びイギリスの地を踏めないなんて・・・。
Commented by lanova at 2007-01-26 03:27
下手な小説を読むよりもずっとおもしろいです!続きを待ってます。実は仕事中なんですが、思わず引き込まれてしまいました。
Commented by marrrsan at 2007-01-26 09:48
●novaさん
Jと言う人物、もっと話しを広げられる人なのですが、本人にこのブログを発見されたら困るので、かなり簡略してエピソードを書いています。
一部はすでに他のところで書いていて、事情をご存知の読者もいます。
ほんとはもっと書きたいという欲求と抑えながら自己規制しています。
ずばりと書けたらもっと面白いのですけどねぇ。
by marrrsan | 2007-01-25 18:48 | ・懐古的旅行記 | Trackback | Comments(2)