USA 再び(2) 身も凍るような体験
2006年 07月 10日
飛行場では現地のツアーガイドが待っていてそそくさとバスに乗せられました。ガイドの男の人も4時間以上空港で待たされていたわけで、なんかちょっと不機嫌そうでした。とにかく彼は彼で、ある程度のしなくてはならない仕事をこなさなくてはならなかったわけです。本当なら2時半に着いていたので明るいうちに街の中を案内し色々な情報や注意を与えることが出来たわけですが、時間的に予定していたすべてをこなすのは無理な状況でした。
ガイドがいくつかの場所に連れて行ってくれましたが、あまり覚えてはいません。ひとつだけ覚えているのは当時まだ出来たばかりだと言う交通システムBARTの駅です。これまたはっきり覚えていませんが当時はサンフランシスコのベイエリアとオークランド方面を結ぶ1つの路線くらいしかなかったような気がします。ここでこのBARTに乗るための切符の買い方など教わりました。今でこそ珍しくありませんが、日本ではまだ切符は駅員が改札口でパンチを入れていた時代。この時すでにプリペードカード式のチケットを使用していました。
この左の写真が当時のチケットで実際に私が使用したものです。磁気テープが貼ってある紙製のプリペードカードです。5ドルとか10ドルとかまとまった金額を買うシステムだったと思います。足りなくなったら買い足せたような気もしますが、定かな記憶ではありません。いくらか未使用なのでまだ使えるでしょうか?(そんなわけないでしょうね)とにかくさすがアメリカ、進んでいると思いました。
それにしてもこのサンフランシスコ初日の思いがけない印象はなんと言っても夜の気温でした。
前回は冬の旅行で、冬の割りにはサンフランシスコは温暖で良いなと思っていたのです。今回は夏の旅行。さぞ暖かいと思っていたらとんでもはっぷん歩いて10分(年齢を感じさせる言い回し)ウッソーッ!(やや新しい言い回し)と言う感じの温度。薄い夏の服装のツアー参加者全員もう、ぶるぶる震えるくらいの寒さでした。冗談でなく凍え死ぬかと思えるくらいの寒さ。長袖を持ってきた人は早速羽織ってましたが、半そで、Tシャツしか持ってこなかった私のような大半の人はもう、説明はどうでも言いから早く暖かいホテルに着きたいとそればかり願ってました。この夜の気温差にはほんと驚かされました。街を歩いている人を見るとコートを着ている人もいるし、夏は暑いという概念は覆され、第1日目から日本の常識は通じない国だと思い知らされました。
凍え死ななくてほんとよかった。
飛行機が遅れなければ、それほど寒い目にも合わなかったかもしれず、ついてなかったですね。ナントカ海流のせいで夏も寒いのでしたっけ?@SF
寒いし、霧は立ち込めるし、夏でも冬の服装が必要ですね。
●genovaさん
サンフランシスコではケーブルカーと言います。
かなり最低温度は下がりますね、夏でも。シアトルも同じような温度のようです夜になると。
ブリットを思い出しましたわ~(古)
げーブルで動くのでケーブルカーです。
ブリット映画館で見ました。それもかなり前の席で。
画面から車が出てくるような迫力感じました。
●novaさん
夏は暑いという意識の日本人はSFに行く時は気をつけないといけませんね、特に夜出歩くなら。
あの寒さでは確かにヒーターも必要ですね。