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北杜夫 「楡家の人びと」

北杜夫の「幽霊」の事を書いたら、コメントで「楡家の人びと」の話題で盛り上がったので(二人の人ですが・・・・)北杜夫の「楡家の人びと」について書いてみようと思います。

北杜夫 「楡家の人びと」_d0000995_16373692.jpg北杜夫の自伝的小説「楡家の人びと」は、彼が心酔し、尊敬したドイツの作家トーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」(Die Buddenbrooks)からヒントをえて書かれ,北氏の祖父の時代から自分の世代までをモデルに大正から第2次世界大戦後までの楡家3代を描いた長編小説です。
小説は3部構成になっていて第1部は楡脳病院の創設者楡基一郎を中心に基一郎の死で終わる大正時代が描かれ、第2部は昭和の初めから真珠湾攻撃による第2次世界大戦の始まりまでが描かれ、第3部で戦中、戦後の楡家の人々の様子が描かれます。物語の中心となる人物は北杜夫の母である斎藤輝子をモデルとした楡龍子です。三島由紀夫も絶賛したこの小説はこれまで2回TVドラマ化もされています。

北杜夫 「楡家の人びと」_d0000995_16375039.jpgこの小説だけで面白く読めますが、北氏の兄の斎藤茂太氏が便乗でもないでしょうが、同じテーマのエッセイで「精神科医三代」(1971)という本を中央公論の中公新書から出しています。(現在も出版されているかは不明)この本と照らし合わせながら「楡家の人びと」を読むと更に面白さが倍増するような気もします。
この本には古い写真なども挿入されていてとても興味深いです。幾枚かこの本2掲載されている写真を転載してみます。


まずはこのNHK版のドラマのタイトルバックにも使われた楡脳病院のモデルとなった青山脳病院の華麗なる姿。 ヨーロッパのお城か何かのようなつくりです。ヨーロッパ留学をした基一郎のモデルとなった斎藤紀一のヨーロッパかぶれからこんなつくりになってようです。
 
北杜夫 「楡家の人びと」_d0000995_16383443.jpg


紀一は自ら「ローマ式建築」と呼んでいたそうです。しかし一度に作られたのでなく、増築を繰り返し作られたため、非常に機能的には不便なところがあったようです。

  
北杜夫 「楡家の人びと」_d0000995_16391218.jpgこれが楡基一郎のモデルとなった北杜夫の祖父である斎藤紀一です。明治の人間らしい気骨のある風貌と新しいものすきそうな伊達男と言った感じがしますね。






北杜夫 「楡家の人びと」_d0000995_16394683.jpgそしてこれが斎藤家の人びと。
この写真では叔母が4人ですが、小説では聖子、桃子の二人になっています。この写真の清子というのが聖子のモデルでしょうか?米国(よなくに)はそのままの名前が小説でも使われています。叔父に当たる西洋は欧州という名で小説に登場します。真中の赤ん坊が斎藤茂太ということになります。




北杜夫 「楡家の人びと」_d0000995_164093.jpg更にもう一冊斎藤茂太には「茂吉の周辺」(毎日新聞社 1973)というエッセイを集めた本があり、これも青山脳病院時代の斎藤茂吉の事などがかかれていて、楡家の人びとのエピソードを髣髴とさせる話なども出てきます。





北杜夫 「楡家の人びと」_d0000995_16403952.jpg最後にご存知の方も多いと思いますが、「楡家の人びと」はデニス・キーン(Denis Keene)によって英訳されて講談社インターナショナル社から1984年に第1巻 The House of Nire
として英語版が出版されました。これは「楡家の人びと」の第1部と第2部を英訳したもので、第3部は1985年に The Fall of the House of Nire として出版されました。
友人のアメリカ人はとても面白いと言っていました。また戦争以前や戦争中の日本の姿がわかり興味深かったと言っています。日本に興味のある外国の方にお薦めの1冊ではないでしょうか。
Commented by yoko at 2006-05-03 20:52 x
内容と全然ちがうコメですみませんm(_ _)m
今日、赤城の麓まで行ってきました!例の版画美術館へついに行ってきました!で、ま~さんがすでに帰国されてるってお伝えしちゃいましたよ~。ご連絡を待っていらっしゃるようでした。 ご伝言まで。
Commented by Marrrsan at 2006-05-04 00:24
●yokoさん
了解しました。連絡してみます。
Commented by rococo at 2006-05-04 01:10 x
私もついでに脱線しますが、今年の版画展は10月だそうです。
ちょうど私の個展直前で・・・。
9月中に全部仕上がっていればいいのですけど(*_*)

青山脳病院は焼けた時初めて、その立派に見えた玄関の柱が全部張りぼてだったと知れたのでしたね(^.^)・・・。
ハッタリ初代院長に比べ、謹厳実直二代目の斉藤茂吉は、少年の頃に斎藤家に養子に入ったそうですが、実は手土産のどら焼きに釣られて決心したとか。晩年も短歌の例会で出された蒲焼の大きさに、こだわって隣の人の鰻と、とり替えたエピソードもあったりで、作品や風貌からは想像できないかわいい人柄だったのですね。
Commented by Marrrsan at 2006-05-04 09:39
●rococoさん
版画展と個展が近いとは大変ですね。作品が仕上がっていなかったら私の作品をrococoさんのスペースに飾りますのでご心配なく!


と言えばやる気が出るでしょうか?


茂吉は東北の貧農に生まれたのでやはり食べ物には執着があったのでしょうね。
Commented by rococo at 2006-05-04 13:08 x
う・・・がんばりますっ!
Commented by Marrrsan at 2006-05-05 00:09
●rococoさん
10月まではまだ十分時間がありますよ。
Commented by lanova at 2006-05-05 09:33
私も大脱線です(すんません)。昨日のゲッティーは最高でした。行かれたことありますか?次回、こちらにお帰りの時には、ぜひ1日だけここで過ごす時間を作ってください。閉館時間までいても全部見切れませんでした。
Commented by Marrrsan at 2006-05-05 21:51
●novaさん
残念ながらまだゲッティーには行っていません。TVで見ただけ。ぜひ行ってみたいですね。さむさんに連れてってもらおうかな?
by Marrrsan | 2006-05-03 09:51 | ・懐古的本棚 | Trackback | Comments(8)