あゝ富岡どうけ?

私のその一人だったんですが、富岡製糸について勘違いをしていたことがあります。
それは、「あゝ野麦峠」とか「女工哀史」といった製糸工場で働いた女工さんの話からきています。
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「女工」「製糸工場」という言葉からはどうしても悲惨な労働条件で働かされた若い女性たちのイメージがあります。それでツイッターなどでも「日本のブラック企業」が世界遺産?!などと言われることがあります。

しかし、日本で最初にできた富岡製糸にはどうも「女工」否、そこでは「工女」と呼ばれた人たちの生活はのちに語られる「女工哀史」にあるような悲惨な労働環境は存在しなかったようです。また労働力として働いた女性たちは貧しい家の女性ではなく、士族の娘とかであったりと教育のあった家の出であったようです。その一つの証拠として明治時代にそこで働いていた工女、和田英の書いた日記をまとめた「富岡日記」があります。つまり、貧農から働きに来た女工では字すら読めない、書けないでこのような日記を残すことは不可能だったでしょう。

富岡から派生してできた製糸工場において、悲惨な労働条件で働かされた女工の話が一般に広がったようです。私も特に女工哀史などの事を聞くと、なぜ富岡製糸がと思ったことが若いころありました。反面、富岡製糸での悲惨な話は聞いたことがありませんでした。せいぜい笑い話として「富岡製糸」に行くと生き血を吸い取られるという噂があったという事です。これは監督に来ていたフランス人が飲んでいた赤ワインを、日本人が見て生き血を飲んでいると思ったという嘘のような本当のような話です。
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とにかく富岡製糸は官営で労働条件は悪くなく、のちの民営の製糸工場での悲惨な話が広がったという事のようです。このへんのところの誤解も富岡製糸の世界遺産登録により解消されるといいですね。
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by Marrrsan | 2014-06-22 09:29 | ・私的周辺雑記 | Trackback | Comments(0)
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