手のぬくもりとひとすじの涙

やっとの思いで長い時間と距離をかけて、私はニューオーリンズ空港に到着しました。正直到着したくない思いもありました。なぜならここで黒か白か答えが待っているからです。空港まで迎えに来てくれたRの義理の妹とその息子夫婦は、「私たちはあなたの決断に何も反対をしないので、あなたの望むことをすればいい。あなたの方が私たちより長く一緒にいてRのことを理解しているのだから。私たちは100%あなたの決断を尊重し、支援します。」これほどの理解をこの家族からしてもらえるのは意外であり、しかしとても嬉しい事でした。空港から30分ほどして、私たちはRの入院している大学病院に到着しました。

義理の家族たちは病室に着くと
「じゃあ、しばらく二人だけにしてあげるよ。私たちは席をはずしているから。」と言うと「さあ、会って来なさい。」と私の背中を押すと、彼らはどこかに姿を消しました。

私はひとり少しだけ薄暗い病室の中へ入って行きました。広い個室の中ほどにポツンと病院のベッドがあり、ベッドの頭のほうにはドラマで見るようなグラフを描き続ける機械の画面やいくつもの点滴の釣り下がったスタンドがありました。
Rの小さな顔が埋もれるようにベッドの中にありました。静かな病室にはポンプでRに酸素を送り続ける機械の音が優しく充満していました。私は2週間近くの入院がどれほど彼の容貌を変えたかを恐れながら近づいて行きました。目を閉じ、酸素を送る太いチューブと流動食を与える細いチューブの入れられた口は半開きをしていました。その姿が目に映ると突然襲う感情の高まりに私の目は涙であふれ、思わず嗚咽しそうになりました。私は声がでないように両手で口を押さえながらベッドの傍らに立ち、Rの眠っている姿を見つめました。すると元気だった時のRの姿が思い出され激しい哀しみの感情につつまれました。 

私はやっとのことでRに話しかけました。
「R,僕だよ。日本からやっと来たよ。悪かったね。遅くなって。R、起きてくれよ。ねぇ、、、。」
私はドラマに良くあるように、親しい人の声を聞くなり昏睡状態から目覚めるという事を期待していました。奇跡が起こり、Rの目が開き、「M。Mか。よく来てくれたなぁ。」そう言って微笑みかけてくれると信じていました。

もちろんそんな奇跡は起こる事もなく、Rは深い呼吸を繰り返しながら横たわったままでした。私は身体にかけられたシーツを捲り彼の腕を見ました。その腕はむくんでパンパンに腫れていました。そっとその腫れた手を握ると、思った以上に暖かなぬくもりが伝わってきて、彼がまだ本当に生きているんだと感じられました。それは喜びであるとともに深い悲しみを私の心に伝えました。
「ごめん。R,もっと早く、すべてを振り捨てて駆けつければよかったね。ごめんR。どんな思いでひとりで待っていただろう。R、話がしたいよ、、、。目を覚ましてくれよ。」

でもRは静かに目を閉じ深い呼吸を繰り返しているだけでした。私は彼の身体の上に泣き崩れてしまいたい衝動に駆られた。

しばらくして、Rの親戚たちが部屋に戻ってきました。
私は彼らに、Rはこのような寝たきりの状態になった場合は、特に意識が戻らないときはすべてのライブサポートは自分から取り外し、死なせて欲しい。絶対にそんな状態で命を繋ぎ止めておかないでくれと言われていたと彼の生前の意思を伝えました。親戚の者たちはそういう意思表示をしていたなら、我々は何も反対しない。Rの意志が一番重要だと言いました。医者にRの意志を説明しようといいました。

Rの意志を伝える事は彼の死の意志を伝える事で、Rの命の選択をしなければならず、私は重い決断を迫られる事になりました。私は今は、この生きているRのそばにいたい、この暖かいぬくもりを保っているRとともに時を過ごしたい 、私の気持ちの整理がつくまでは生かせておきたい、例え彼の意思が違ったものにしてもという思いでした。

やがてRの担当の医師が現れ、私と親戚たちに現状を説明しました。
Rは現在5%の脳が働いていて、完全な脳死の状態ではない事。ライブサポートは付けてはいるが彼の呼吸する力は半分以上はあること。しかし、他のテストの結果を見る限り、殆ど回復する見込みのないこと、もししたとしてもかなりの障害で、ベッドに寝たきり、今のような状況が続くだけだといいました。そこで私たちはRの生前の意思を医者に伝えました。医者は分かりました。彼がそういう意思を話していたなら、もう一度脳のテストを行い、確かに回復する能力がないことを確認してからそうしましょうと言いました。

医者が去り部屋に私と親戚のものだけになりました。私はただただRを見つめ、暖かな手のぬくもりを感じていました。しばらくするとRのまぶたが少しだけ開き始めました。半開きになった瞼からRの薄青い澄んだ瞳が見えました。Rが私の声を聞いて私を見ようとしている。そう思い、私はRに声をかけました。
「R。Mだよ、見えるかい。会いに来たんだよ。日本からRのために急いできたんだよ。」
しかし、その澄んだ瞳は私を通り越し、もっともっと遠いところを見つめていました。いくら呼びかけても私に焦点を合わせてはくれませんでした。ただそれでも私は手を握り、じっとRの目を見つめ溢れそうになる涙をこらえていました。そして疲れたのかその目はとじていきました。親戚のものは彼は昨日も目を開けていたが、同じような生気のない目をしていたといいました。

それからしばらくして、今度は彼の目は殆ど全開の状態まで開けられました。
なんと美しく哀しい蒼さだったでしょう。透き通った透明感のあるうす青色をしていて初めて見るような美しい目の色だと思いました。しかしそれはまた人形の目のようにただどこを見つめているのか分からない生気のない瞳でした。私は彼からちょっと離れ、違った角度で見ようと正面に位置を変えました。
青い目を見開き、どこを見ているのか分からない瞳で静かに呼吸しているRの姿は哀しそうでした。こんな状態になった自分を哀しんでいるように私には見えました。あんなに哀しそうなRの姿を見たのは初めてでした。その姿に私はまた嗚咽しました。

それからしばらくして親戚のものが席をはずしました。私は彼に近寄り額をなでながら、Rに話しかけました。
「今日までいつも私のことを第一に考えてくれてありがとう。Rのおかげで今の自分がいられる。Rが私の人生の手助けをしてくれた。Rがいなかったらどうしていただろう。ありがとう。ありがとう。」
そして、こういう状態になる前には照れくさくて余り口に出していえなかった言葉を勇気を出して彼の耳元に囁きました。
「私という人間を愛してくれてありがとう。私も心から愛しているよ、 R」
するとその時でした、まるでドラマの1シーンを見るような奇跡が起こりました。ひとすじの涙がRの閉じられた瞼の隅から清らかな一筋の光となって頬を伝っていったのです。
それは奇跡ではなく単なる偶然だったのかもしれませんが、私は奇跡と信じたかった。
Rに私の声は確かに届いたのだと私は信じました。
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by Marrrsan | 2012-12-02 23:14 | ・私的周辺雑記 | Trackback | Comments(2)
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Commented at 2012-12-21 12:30
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Marrrsan at 2012-12-23 10:23
●非公開コメントさま
ありがとうございます。これからの事は
まだはっきりしませんが、この場所は大切に
したいとは思っています。もう庭に彼の姿がないのは
辛いですね。