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アン・ライスの手紙

以下はニューオーリンズの作家アン・ライスがニューヨークタイムスに寄稿した手紙です。ハリケーン、カトリーナの災害にあい、自力で1週間近くも生き残ろうとしていた街に批判や疑問が投げかけられ、ライスはそれに答えるためにこの手紙を寄稿しました。
あなたはどう思うでしょうか?
(私はプロの翻訳家でないので、間違いや、勘違いの部分もあるかと思いますが今回のことについて同じ疑問をもつ日本人もいるかの思うのでつたないものですが、訳してみました。)


ニューオーリンズを失うとはどんなことかわかっているのでしょうか?
                                      アン・ライス

本当に人々はニューオーリンズのことを知っているのでしょうか?

ニューオーリンズは黒人たちが力強いアフリカンアメリカンの文化を根付かせた土地です。1840年にニューオーリンズで最初に出版された文学雑誌は黒人たちによるものでした。繁栄していく町で自由になった黒人たちはこの街にいろいろな仕事で貢献してゆきました。確かに悪名高い奴隷市場があったことは忘れてはなりませんが、「持つと持たざるもの」の関係だけではなかったのです。19世紀後半にはアイルランド人が入植、そしてドイツ人、イタリア人と続き活気ある複雑な文化が出来上がっていきました。

しかしこういった中でも黒人の文化が衰えるということはありませんでした。黒人たちにとっては他のどこにもないような存在となりました。ディラード大学、ザビエル大学のようにアメリカでも優秀な黒人の大学もあります。差別運動に勝利がもたらせると黒人たちはいろいろな階級の生活へと移り、西部や北部の多くのアメリカの町ではそれほど見られないしっかりした黒人の中流階級も形成されました。

黒人の音楽の影響は言うまでもありません。「ビックイージー (Big Easy)」とこの町にニックネームをつけたのはニューオーリンズにやってきた黒人のミュージッシャンでした。なぜならこの街ならいつでも簡単に仕事を見つけることが出来たからでした。だからジャズやブルースを貧しい黒人の音楽と思うのは正しい見方ではないでしょう。(以上要約)

しかしそれだけではありません。ニューオーリンズの暮らしは快適なものでした。時間はゆっくり流れ、人々は気軽に笑いあい、キスを交わし、愛し合い喜びがそこにはありました。だからこそたくさんの人が白人も黒人も北部へ行くことはなかったのです。昔からのご近所のある居心地のいい場所に居たかった。家族間の結婚、出産そして葬式という人生の周期が人生の一部となった家族を後に残してよそには行きたくなかった。偏見より寛容、怒りより忍耐に重きをおくこの街を人々は去りたくはなかったのです。そう、人々は自分たちのこの街を置き去りにしては行きたくなかったのです。

そうやってニューオーリンズはゆっくり、均等にではないかもしれませんが確かに繁栄していきました。(中略)

そして今回大自然は南北戦争も、1920年の労働者の暴動も、効率だけを追求する近代社会も出来なかったことをしでかしました。それは人種差別さえ成し遂げることが出来ないことでした。大自然はポインペイの最後を思わせるようにこの街を荒廃の中に横たえたのです。

こうした歴史的を語るのは理由があるからです。そしてこの数日持ち上がった質問に答えるためです。テレビカメラが水害を受けた屋根を映し、屋根裏部屋に閉じ込められた人々を助け出す様子を見るや人々は不思議に思いました。
「何故、ハリケーンの前に逃げ出さなかったんだろう」カメラの前であるいはカメラに映し出されていなくても。「何故嵐が来るのを知っていながらとどまったんだろう?」
あるレポータは私にも尋ねました。「どうしたあんなところに住むんでしょうかね?」と。

そうしている間に状況は耐えがたい事態になり、略奪者に町は奪われました。窓が壊され、宝石は盗まれ、こじ開けられた店からは水や食料そしてテレビまでも怒り狂った抑制しようのない群集に持ち出されていきました。そしてさらに疑問の声はあがっていきました。「こんな事態のときにどうしてこんな略奪ができるのだろう?どうしてお互いに銃で打ち合うことができるのだろう?溺れている者、略奪をする者主に黒人ということで人種差別ということが話題に上りました。洪水になろうとしている街に留まり、お互いを挑発しあうニューオーリンズの人ってどういう人なんだろう?

これが答えです。何千人もの人は街から避難できなかったから留まったのです。お金もなく、交通手段もなく、行く場所もなかったのです。どの町にも多くいる貧しい黒人や白人だったのです。彼らは自分たちでできることー頑丈と思われる家に寄り集まったーをしたのです。街を逃げ出し、ホテルにチェックインなどできる人々ではありませんでした。

さらに、何千人もの人は助けが必要な人のために自分の意志で街に残ったのです。彼らはヘリコプターで屋根に取り残された人々の救助や、自分のボートを使って助けを必要とする人々を救助していたのです。そのあいだ市の関係者は悪化していくスーパードームでの状況を軽減しようと必死の努力をし一時的な避難所や、ホテル、病院は混迷する事態と奮闘していました。

こんな状況の時、他の人たちはどこにいたのでしょうか?大丈夫、救助は行くわが国は裕福な国だ。議会も動き始めている。略奪を止めさせ、避難している住民はちゃんと護られる。そうこの街は告げられていました。
そう、確かに最終的には救助はやってきました。しかし何度州知事のブランコは状況は絶望的と繰り返し、ネーギン市長は何度救援をと叫んだでしょう。
なぜアメリカは多くの人に愛され、ある人たちには非難を受けるしかし誰からも無視をされるようなことのない街にこうも長い間自分たちだけで生き残るために戦わなくてはならない状態にして置かれたのでしょうか?これは私の質問です。

やがてはこの街はこの戦いに勝利するでしょう。私はこの街に生まれ、何年もこの街に生きてきました。この街が私という人間を形作ったのです。ニューオーリンズの人々ほど愛、家族、忠誠心、そして仲良く暮らしていくことを知っている人々に有ったことはありません。おそらくそういった彼らの優しさが苦しい時の忍耐を作ったのでしょう。

過去のいくつものハリケーンを乗り越えたように街は再建されるでしょう。
人々はニューオーリンズに留まるでしょう。ここが彼らが生まれ、その両親も生き、祖先によって作られた教会があり、200年にもさかのぼる祖先の名前が残る墓地があるからです。
人々はニューオーリンズに留まるでしょう。他のコミュニティでは当に失われた優しい家庭生活を楽しめる街だからです。

私はこの祖国に言いたい。この非常事態にあなたは私たちを見捨てました。私たちを見下し、被害者を見捨て、私たちを見捨てました。わたしたちのジャズ・フェストを楽しみ、マルディ・グラを楽しみ、特有の南部料理や音楽を楽しみながら、しかし私たちが本当に苦しんでいる時に、小さなマイノリティを見たときに弱者を餌食にしていました。そして「罰当たりの街」とさげすみ、背を向けたのです。(注:ニューオーリンズは廃頽の街なのでこれは神が下した罰だと言ったカトリックの指導者がいました。)私たちはそのようなさげすみを受けるような所なのでしょうか。時としてエキゾチックでとてもいい雰囲気のあるところで貧しいこの国の一部です。そうこの同じ国の一部なのです。私たちもあなたたちと同じアメリカ人です。
Commented by lanova at 2005-09-05 15:34
涙がこぼれそうになりました。ニューオーリンズは私のふるさと松江の姉妹都市です。松江にいるときから明るく陽気なニューオーリンズの話はよく耳にしました。ニューオーリンズからやってきた人は気さくでした。自分たちの文化を築き、それを継承してきた所です。
多くの人が今回のことでアメリカ政府に、大統領に失望しています。
被災地のみなさんが希望を失わないで再建に向かわれることを願い、祈っています。
Commented by lemonodasos at 2005-09-05 18:20
外国に向かって援助はいらないような事を言った大統領には驚きました。最初にオーストラリア、日本、サウジアラビア、キューバが緊急お見舞金を発表していましたね。災害にはお金が必要なのに・・・。お腹も好いているだろうし、毛布とか、被災地の人はすべて失ってしまったのだから…。お金は大切ですよ。まったく先にたつ人がこれでは!と思いました。
Commented by rococo at 2005-09-06 01:56 x
ニューヨークに長く生活した知人との会話に【貧富】【階級】【人種】などの言葉が頻繁に出るのがとても厭でしたが、多分アメリカ社会に身を置いて生きる者の本音。避けては通れない現実に違いありません・・・という事が少し理解できました。
Commented by Marrrsan at 2005-09-07 11:36
●novaさん
松江も台風14号の通過で大変なようですね。大事にならないよう望んでいます。
基本的にニューオーリンズの人は強い人が多いので、立派に再建していくと信じています。
大統領には約束を護ってもらって、よくやってくれたと誉められるような結果を残してもらいたい。

●まどかさん
大統領は今は何とか批判の矛先を変えようと必死になっていますね。
そのために最大限の努力をしてあっと驚くような早期のニューオーリンズの復興をしてくれたら見上げたものだといえますが・・・。

●rococoさん
超大国とか、アメリカンドリームとか言われますが
以下に格差があるのかが露呈されましたね。
わたしでさえ、これほどの数の人が避難のすべもなくスーパードームに
逃げ込んだということを知り驚きです。
by Marrrsan | 2005-09-05 10:06 | ・ニューオーリンズ | Trackback | Comments(4)