ヨイショ
2011年 12月 28日
コメディぽい作品でしたが、シリアスなテーマも潜んでいて、正直それほど面白とは思わず、惰性でこの番組を見ていました。
ドラマの中にひとつ、とても気になるキャラクターが居ました。それが今福正雄の演じていた渥美清の父親役でした。彼は会社を退職して、家でごろごろしているような役でコミカルな感じもして不思議な存在でした。彼の妻、つまり渥美の母親役は賀原夏子が演じていました。この両親の関係がよく理由がわからないのですが、お互いに会話をしないという不思議な関係で、父親は母親を避けているようなところがあり、何か問題を抱えているような感じでした。でも詳しい説明はなく、母親は会社を退職してから変になったと、退職が退職がひとつの原因の様と思っているようでした。この夫婦の問題は何なのかわからないのですが、ストーリーのメインではないので毎回メインのストーリーにこの夫婦の問題は隠れていました。
それが最終回近くに初めて彼ら夫婦の問題がはっきりしました。その問題は一見些細な事でしたが、父親にとってはかなり重大な問題でそのリアルさにその時初めてこのドラマはすごいと思いました。それは渥美の父親が会社を退職した時、母親が何気なく言い放った言葉で、その言葉が父親にとっては今までの家族のために働いてきた事を否定されたと感じられ、かたくなに妻とは心を閉ざして閉まったと言うのです。
いままで飄々としてなんとなく居た父親にそんな重い問題があったとは驚きました。
そしてそれまでの父親の行動の意味が初めて理解できました。
本人には何の悪気のある意図はないのに、言われた相手は非常に傷つくという事があります。そういう問題を26回かけてドラマの片隅に秘めていたドラマに感服しました。
私にとっては「ヨイショ」は渥美の作品と言うよりこの父親を演じた今福将夫の作品として記憶に残っています。
このドラマを思い出し、このブログも「どっこいSHOW」から「ヨイSHOW」に変えようかとも思ったりしました。
ロゴも時代と共に変わっていきますね。
当時はビデオデッキもなく、最終回を見逃した自分には、その答を教えてくれるかたとの出会いがありませんでした。みんな裏番組の太陽に吠えろを見ていたようですから。
ゴキブリのでっかい模型をシンガーソングライターのケメさんが作った場面が妙に印象に残っています。
私のブログが長年のもやもやの解消になったとは嬉しいですね。私には鷲尾真知子も記憶に残る女優でした。
ヨイショの主題歌がYoutubeにありました。「いつかはきっと」で
Youtubeで検索してください。
1974年の作品なのでテレビ局でもビデオの使いまわしをして、残っていない可能性がありますね。
ヨイショ♪ヽ(´▽`)/
私はちょっと休む時このフレーズ、「どっこいしょ」。
当時、葛飾に住んでいた親戚からもらった『寅さん』のマスコット人形が家にありましたが、映画は見ていなかったので、僕にとっての渥美清は、このドラマが最初の渥美さんでした。
断片的にしか覚えていませんが、弟の小倉さんが勤めていた看板屋(絵が得意)の先輩が宮内さん(青レンジャー)で、恋人(マリアさんとは知らなかったです)を横取り?されたこと。山田パンダさんが本人役で出演。口癖が主人公と同じ、しんどい時の『ヨイショ』だったこと。
くらいですが。
小3でしたが一生懸命見ていました。
案外覚えている人がいて驚いています。小3で覚えていると言うのはかなり印象深かったのですね。
私も再放送があれば見たいですが、どうもその頃のカラー作品は(ビデオ)カラービデオが高額で使いまわしをしていたらしく、テープが残っていないようです。
最後まで見てやはり、山田太一の脚本は凄いと思わされました。
毎回見ていたのですが、今福さんのドラマの症状が、その前年に亡くなった父にそっくりだったので、母が見たくないといい、大切な終盤を見ることができなかったのです